1年ほど前にこういう記事を書きました。
今まで、面白かったものがろうそくの火が消えるようにふっとなくなってしまう。自分の内部のモチベーションをずっと保っていくことはとても難しい。これはどんな人にでも訪れることです。生老病死は避けられない。
若いときに比べて、体は衰える。体力が衰えるということは可処分時間が減っていくこと。どうあっても進歩することは難しい。
いろいろ工夫して乗り切ってきたものの、老いや環境の変化で自分自身の情熱も死につつある。
今までに比べて、はっきり終わりが近づいていることを感じる。
進歩どころか、現状維持も難しい状況です。可能性が固定されることが絶望だと考えているわけですが、遠くにあった大きな壁が音を立てて迫ってくるのが見える。
わずか1年で坂を転げ落ちるように出来ないことが増えた。
今まで絶望と戦うためにとってきた手段が通用しなくなってきている。いよいよ終わりに向けて、どうするか考えて動いています。
困った時には上手くやっている先人に聞けばいい。ということで、ずっとモチベーションを保っている先輩達にどうすればモチベーションを保ち続けられるのか話を伺ってきました。
自分へのメモ。
以前の記事で自分が考えたとこと重なることもあるのですが、書いておくことに意味があると思うので記事にしておきます。ここを起点にしてもっと考えを深めたい。
そしてそれぞれの項目もかぶることがあるのですが、それだけ大事なことだと思うので書いておきます。
説教もされたんですけど、この歳で小童扱いされるのはありがたいことです…ホンマに。
動けるうちに動け
みなさん口を揃えておっしゃっていたのは、動けるうちに動けということです。
- お金があっても動ける体力はなくなる
- 意欲があっても冒険は出来ない
やりたいこと、興味があるようなことがあったら、熟考するより先に動いたほうがいいと。
いろんなものに興味が持てなくなる中で、興味が持てるものは本当に貴重だからということですね。そして興味が持てるものも時間の経過と共になくなりやすい。
経済的に余裕があったらやろうと思っていても、体が利かなくなったらもうそれはタイムアップということですからね。
借金してでも動けという人もいました。時間は買えないということ考えると、それもそうなのかもしれないですね。
「動けなくなる日は思っていたより早く来るかもしれないし、突然来ることもあるよ」と。まあ、そうですよね…
そして、動いておくことで、興味の種は育てることが出来る。
大先輩で色んなところを飛び回っていた方がおっしゃっていたことが特に印象に残りました。
「もう昔のように動けはしないけれど、動いていたことで出来た知己などとずっと交流出来ているのは良かった。」と。
興味を育てる機会があったら、それは何より優先する。
体が利かないと出来ないことはありますし。
一旦興味の種が育てば、制約条件があっても楽しめる選択肢はいろいろある。
行きたい土地に移住はできなくても、日常会話できるくらいまでできるようになっていれば、旅行はできるかもしれない。確かに、それはそうですねえ…
意欲があっても冒険は出来ないというのは、年齢の壁はどうあってもあるということです。体力は確実に衰える。
何より、楽しめる条件も変わってしまう。若い頃だったら楽しめたことも、楽しめなくなることもある。今の自分の基準で楽しいと思うことが、5年後楽しいかと言われたらそうではないですしね。
昔なら出来た仕事も同じ時間集中力を持ってやることは難しい。短い時間なら出来るけれど。
だから、仕事でも自分が何より好きなことや得意なことにシフトしたほうがいいと。エネルギーがどんどん枯渇していくのだから。
結構な方向転換されたなと思っていたんですけど、自分のスキルが使える部分でやりたいことにシフトされていったと聞いて納得しました。
失敗しても全然問題ないそうです。
動いたという事実は、更にエネルギーを呼んだし、失敗したことは選択肢から外せるから成功する確率はあがると。まあ、もうちょっとしたら、もっと終わりが見えるから、動いている方がまだいいと思える様になるよと。
笑いながら言われたんですけど、まだそこまでは達観できないなあ。
やらなかった後悔よりやってする後悔の方がいいのは自分に照らし合わせてもなるほどなと思いますけど…
「うりなみは、考えることはやりすぎるくらいやるから、慎重さは必要ない。中年期以降はあんまり必要ないよ。考えて選択肢が増える時期はもう過ぎてる。君の場合はいろいろ考慮しなきゃいけないことが多かったから、仕方ない面もあるけど。行動したほうが選択肢が増えるんじゃないかな」とありがたいアドバイスを。
考えてるより動けということです…
自分の興味を優先しろ(自分基準で考えろ)
特に、自分で仕事をしてみえる方に多く話を伺ってきたこともあるんですけど、メチャクチャな働き方をしてきた人が多い。自分の興味ややりたいことを最優先には出来なかったはずです。
「やりたいことを仕事にしてきても、それが人生を通じて一致してることなんかないよ」とおっしゃっていて、そりゃそうだなあと。やっていくうちに、どうしてもズレは出来てきますからね。人は変わり続ける。
私は人生を通じて、自分が好きなことと出来ることのギャップが大きかったので、苦しかった。先輩たちはそういうことから無縁かと思っていたらそんなことはなかった。
モチベーションを保てている先輩たちは、自分の興味がある方に仕事も生き方もシフトされてますね。
さっきと同じですけど、衰えていく体力でモチベーションを保てるのは、好きなことや得意なことなんですよね。
いろいろ仕事を減らしているのも、ちょっと前に先輩たちと話したことがきっかけでした。
得意なことなら長時間取り組めますし、疲労も少ない。進歩できる余地は年齢を重ねてもあるということですね。
と言ってもすぐにそういう環境に身を置くことは難しい。
シフトする時に自分の興味と世の中の需要が合致するところを上手く探しながら、少しずつそういう環境に移行した方が多かったです。同じ業界にいても、仕事内容はみなさん変わっていたりしますね。
やりたい仕事があったら、採算考えずにやるとか、ボランティアでいいからやるとか。自分の知識やスキルをバーターして学びにいったと。
まあ、これは結構やってるかなと思ったんですが、「君はお金が嫌いすぎるのがダメと」いや、そんな嫌いなわけではないんですけど…
もっとお金を取ればいいと。まあ、そうなんでしょうね。
今、いろいろ自分が嫌じゃない形で考えているから、またダメ出ししてください…
やりたいことを、少しずつ仕事に変化させていったと。15年掛けて仕事にしたという話を聞いてびっくりしましたね。
でも、興味があったから動いただけだとおっしゃっていて、ああ、そういう意味でも自分の興味をないがしろにするようなことは何処かでやめないとなと思いました。
自分の体調を優先しろ(自分基準で出来るように環境を整える)
自分の体調を最優先するようにしたというのは皆さんおっしゃってましたね。出来なくなると死ぬよと脅されました…
集中力が切れたらすぐ休むようにしてると。休めるような環境にしないといけないということですね。
「無理しなきゃ出来ない仕事はやらない。残り時間がすぐ来るからね。」と言われました。耳が痛い…
やっぱり、無茶してきた先輩は亡くなってしまった方が多い。
自分の周りをみても30代の働き方を続けた人は大病したり、亡くなってる人、本当に多いですからね。寿命の前借りをしてきた自覚はあるので。
定時で働くことが難しくても休みながらなら働くことは出来る。まあ、これはそれなりに出来る環境にはしたかな…
そして、体調が悪ければ、楽しいことは楽しくなくなってしまう。情熱は死にます。
快適な時間を増やし、不快な時間を減らすという意味で体調が大事なのはずっと考えているからいいかなと思ったんですけど、他の何より体調を優先しろとのことです…
衰えるときは一気に衰える。ただ、体調を優先していれば、そのスピードも食い止められる。
燃え尽きる速度は年齢を重ねれば重ねるほど速くなる。君はそういう見積がまだ甘いよと言われました。
まあ、無理してるもんなあ。この年になって大人になれと言われるとは思わなかったです…ありがたいことです。
先輩たちから見たらいつまで経っても小僧なんだろうなあ…
快適な時間を増やし、不快な時間を減らす。情熱を殺さないためには体調を最優先に計画、行動するということですね。
今の自分はそこまで徹底できてない。自分の体力を考えると先輩たちと同じ方針のほうがいいんだろうな。
自分の興味を優先しろ(環境の変化に対応するためにも)
自分で仕事をしていると、自分をどうしても後回しにしてしまう。そうなると家庭を壊したり、体を壊したりしてしまう。家庭がなくとも自分が大事な人間を大事にできなくなったりする。
自分を優先することが大事なのはわかっているわけですけど、なかなか難しい。
先輩たちも例に漏れず、体を壊したり家庭がうまく行かなくなってる方が多いですからね。でも、そのままだと立ち行かなくなったはず。
なぜ、自分を優先出来ないのかも先輩たちと話してるうちにちょっと考えがまとまったので書いておきます。
自分を優先することが出来る人のほうが自分で仕事をするのに向いているわけですけど、そうでない人もいる。
自分を優先できない原因は、恐怖心じゃないかなという話になりました。
どう考えても自分で仕事をしている場合、生産性に一番関係あるのが自分のコンディション。
なのに、それより仕事を優先してしまうのは、生存本能みたいなものじゃないかと。
無茶な納期で頑張ってしまったりとか、仕事がなくなる恐怖心で動いてしまう。目先のお金は欲しいですからね。自分で仕事していると尚更です。
リスクの計量が正確に出来ないように人間は出来てるかもしれない。合理的じゃないですね。
だから、狩猟採集生活してたような人のほうが自分で仕事をするには向いてるんだろうなと。
でも、そうでない人は、自分を優先する理論武装をする必要がある。納得させる必要がある。
無理な納期や仕事を頼まれて、結果働けなくなったら終わりですし、自分が仕事を断っても、他の人に仕事を頼むだろうから、問題ない。
もし、それで仕事がなくなるようなら、それでいい。そもそもそんな働き方は歳をとったらできないから、問題ないわけです。まあ、確かに…
そして、視野狭窄になっていくと、社会の変化や、周りの人間の変化にも気づけなくなる。需要の変化に対応できなくなる。だから、興味の赴くまま、新しいことには意識的に飛びつくこと。需要、ずっとは続きませんもん。
そのために、自分に余裕を持たせられないようなら仕事はしてはいけないと。
全力で取り組んでいい時期はもう過ぎたということなんでしょうね。
今の自分に合った環境に変えろ(コスト面でも、体力面でも)
住む環境であれ、仕事の環境であれ、自分にあったサイズに合わせることは大事。やっぱり生き方をみなさん若い頃とは変えていた方が多かったです。
全然変えてない先輩もいらっしゃったんですけど、私が真似できそうだと思うのは、生活をダウンサイズしていくことですね。
仕事も自分のキャパシティを超えてきたら、手放したり、若い人に回したと。その節は大変にお世話になりました…
私もようやく引き継いだ仕事を若い人に回せてホッとしました。
当然、収入は少なくなるわけですから、田舎に引っ越したり、「使うかも」という機材は処分したり、データベースの契約に変えたりと、生活のコストを下げることは大事だと。
若い頃の働けるベースで生活水準を設定しても、維持はできないし、コストを減らせば、無理な仕事をしなくて済むから、モチベーションは保ちやすい。余裕を持たせるようしないと情熱は死ぬということですね。
田舎に引っ越すと言っても医療の問題もあるので、みなさん、大都市圏に1時間くらいでアクセスできるところに住んでらっしゃる方が多かったです。
自然が豊かなところに住んでいらっしゃった方も、移住したけど、雪かきが無理だからまた引っ越したとおっしゃっていてなるほどなと思いました。
物は少ない方だけれど、もっと減らそうかなあ。
あとは、自分の需要がある環境に移行することは大事と言われましたね。
日本市場がシュリンクしたり、小さくても世界規模でみたら需要はいくらでもあるわけですしね。そうだよなあ…
人間関係を大事に
フットワークを軽くということですね。会いたい人には会いにいく。
どうしても自分の中のエネルギーはなくなるから、できるだけ、自分が面白いと思うことをやってる人と会ったり、好きな人たちとの交流を欠かさないように。外部からのエネルギーが尽きることはない。
これは昔に聞いていて、ある程度は守れてるかな…
男は特に交流がなくなるとすぐ死ぬと脅されました…
男性の方が仕事で全てを埋め尽くして孤独死というのはありますもんね。女性よりバランスを取るのが下手というのもあるのかもしれない。
自分だけでモチベーションが維持出来なくなったり、自分の仕事や興味が社会と合わなくなることはどうしてもやってくる。
で、あったとしても、自分が尊敬できる人に仕事ややっていることを認めてもらえるのなら楽しくできるやろと。
そこに金銭が生じないとしても、自分が凄いと思うやつに認めてもらえるのなら、モチベーションは維持できる。情熱がなくなったら、もう一歩も前には進めない。
率直な言葉で語ってくれてちょっと感動しましたね。そんなことを言う人ではなかったので。心配おかけしています…
仲間と楽しくというのは思っている以上に大事なんですね。
若い頃、結構確執あった先輩たちが、飲みの場所でさっと集まったのはびっくりしましたね。集まってくれたのは嬉しいけれども。
同じ時代を生きた人間というだけで、もう昔の確執はどうでも良くなったと言ってて、ジジイ、めちゃくちゃ気を遣わせた癖に…と思いましたけど、羨ましくなりましたね。
もう、会えなくなってしまったかつての友人とも、ジジイになったらお酒のめたら嬉しいんですけどね。
まだ、そこまで歳を取ってないのかもしれない。
小遣い程度でできるような小さな仕事を何人かでやってると聞いて、ああ、そうか今だとリスク少なくできる方法も確かにあるよなと。
仲間内で仕事を融通し合うというのはずっとやってきてるんですけど、一緒に遊び感覚でできるようなゆるい仕事するなんて考えたこともなかった。そう言うことを絶対に若い頃やらなかったような人たちが変わっていったことに驚きました。
うまくいかなくても、面白がれるのならそれで問題ないと。自分はそこまで柔軟じゃないけど、確かにそれならありですね。
義務感を持つようになったらやめるという基準はいい。採用しようと思います。ブログも書ける時だけでいいな。
同好の士や尊敬する人との交流。あと、知識は死蔵しても仕方ないから、できるだけ聞かれたら答えるようにしているとのこと。
師匠やお世話になった方はみんなそうだったからなあ。自分もそうありたいですね。
情熱を殺さないために
とにかく、自分を基準にして物事を考え、行動していくことが情熱を殺さないためには重要なんでしょうね。特に中年期以降は。
多くのことは自分が考えていることでもあったんですけど、そりゃ、自分が影響を受けてきた人たちや、師匠の仲間だった人たちが言っていたことや行動で示していたことだから当然ですね。
みなさんフットワークが軽い。相談しにいったら、他の先輩方もいらっしゃって、申し訳ないやらありがたいやら…
自分達がやってもらったこと返してるだけだよと。うりなみもやれよと。
ずっと言われてきたことで、自分でも気をつけていることなんですけど、実行し続けることは本当に難しい。自分もそうありたいですね。
変化が激しい時代に生きる時に、外部環境の変化に気づけるためにも自分に余裕を持たせるのは大事。
自分を優先することに罪悪感を持つのは合理的ではない。あと、休めと。ですよねえ…
これ、更年期でもあるんだろうなあ。抑うつ的ですもん。
「〜ねばならない」と思っているときは注意した方がいいと言うことですね。
ずっと情熱を保ってきた先輩たちは、どこかで生き方を転換した人が多かった。
変化を受け入れることが、情熱を殺さない秘訣なのかな。現時点で話を聞いてきたことを整理すると。
自分が楽しむと言う軸があるなら、衰えも変化として楽しめるところはある。どうあっても体は衰えていくけれど、体調を優先する、今の自分の興味を優先する。
そうすれば、自ずと変化に合わせていける。自分を優先しないとそんな簡単なこともできなくなります。今の自分やな…
もちろん苦しいことをゼロには出来ないとしても、主体性を失わずに生きることはできるんでしょうね。
あとはなんだろう…
40超えるまでに自分で商売してきたのなら、基本的な商売のスキルはある。資金繰り出来たりヒューマンスキルはあるから、なんとかなるよと言われました。
いや、あなたたちみたいな超人じゃなくて、超ボンクラだから基本が全然出来てないと思うんですけど。不安しかない…
ただ、たくさんのヒントはもらえました。
自分が嫌ではない、出来れば楽しいこと、楽しいことにつながるだろう仕事をを小さく束ねて生きていこうと思っていたので、コツコツやっていきたいですね。
楽しいことにつながると思ったら、それは苦境ではなく、経験ですもんね。
みなさんも何かヒントがあったら是非教えてください。
たくさんの参考になる話や、書けない話もあるので、動画でやればいいのかな。YouTubeもカオスになりますねえ…
まあ、自分と友達のメモだからいいのか。
自分の機嫌を取ることが上手な爺さんになりたいですね!
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