老いについて考える

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無理ない暮らし
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ちょっと実家に戻っていたこともあり甥と話す機会がありました。そのときに、「うーさん、歳を取るってどんな感じ」と聞かれて、「いろんなことにコストが掛かるようになることや…」と答えたんですが、ちょっと言葉が足りないように思ったので考えてみます。

高校生となった甥はもうみるみる成長していく。バランスが悪いな、それくらいの知識でわかったつもりになるのは危ういなと思ったりすることもあるんですが、若い時はそんな物でしょうし。自分の若い頃に比べたら全然ちゃんとしてるから,そんなに心配することもないのかな。

自分で失敗しないと学べないことたくさんありますしね。

今のうちに取り返すことが出来る失敗をたくさんしておいてくれたらなあと思ってます。

まあ、バランスが悪いのはボンクラの一族だからですかね…

じゃあ、翻って自分のことを考えるとどうか。今、初老を迎えつつある自分がバランスがいいかと言ったらそんなことはないですね。あらら…

知識や経験は確かに積んだけれど、わからないことは減るどころか増えている。

あれ、歳をとったら賢くなるものと思っていたけれど、どうも違う。

昔と比べて社会の変化のスピードが早くて、知識が陳腐化するようになった。

年を重ねることや経験を積むことが賢さとは必ずしも一致しないということもあるんでしょう。

でも、それだけではおそらくない。

賢さをなんと定義するかという問題がそもそもありますけど。

つらつらと大阪の部屋に戻るまでに老いについて改めて考えてました。自分なりに頭を整理したい。

老いは病と同じものだと考えていました。

でも、どうも違うのではないかと感じるようになりました。

甥にあとで老いとはこういうもので、対処するためにこういうことを考えてるとドヤ顔するために考えを進めてみます。マジ、老害ですね…

飲みながら書いているのでまた、後で見たら驚くんだろうな…

なぜ老いと病は同じと考えたのか

老いも病もあらゆるコストが跳ね上がる事は同じです。

何をやるにも大変になる。

もともと体は強くないので、自分は出来る事が少なく生きていくことになるだろうと言うのはわかっていた。

自分を老人と思って生きる。子供の頃に病気で結構長い間病院で生活しました。やー、こんなに生きるとは思わなかったんでびっくりです。

でも、病気や怪我を敵視して生きてはいないんですね。それも自分の一部なので。

結局の所、音楽と病気や怪我が自分という人間を作った気がしますねえ。

視点をずらす。

病気ってのは残酷なもんで、痛みと苦しみが人生のほとんどになってしまったりしますよねえ。子供の頃に同じ病気で入院していた人間で今も生きてるのは自分だけ。

病気があっても,生活できるようになったのに生きることが出来なかった人間もいます。

本当ね、簡単に人は死ぬというのを子供の頃に見ると人生変わっちゃいますよね。死を側に生きるというのは老人と同じだなと。

そう考えたら絶望しなくても生きられるんじゃないの?

馬鹿な子供なりに考えたわけですね。

老人が全員絶望しているわけもないじゃないですか。昔の病院ってのは、今の病院より色々緩かったのもあるんでしょうけど、割と患者の交流もあったんですね。

確実に死んでいくお年寄りたちと、当時子供だった私達と交流するのが良かったのかはわからない。ただ、私にとっては死というものを実感出来たのは良かったのかなと。

今の病院はそんな事ないと思うんですけどね。

ちょっと前まで,しゃんとしていたお年寄りが自分をどんどん失って壊れて亡くなっていく。

なかなか昔の病院はハードでしたねえ。

病気の子供の親をターゲットにした宗教の勧誘やらもなかなかエグかったですよ。病院で生活してるだけでも社会の仕組みは結構学べたものです。本当、外に出ないのにあっという間に大人になってしまう子どもたちは多かったんじゃないですかね。

死は避けられない。出来ることが少ないのであればあるほど、何が自分にとってやりたいことなのか考えざるを得なかった。

病気も老いも、自分が使える時間が少ない事は同じです。

だから、ものを少なく、考え方もシンプルに。捨てることを考えてきた。出来ることが少ないから、これはいったいなんなのかをしっかり考えないといけない。そうやって生きてきました。

病気は治る可能性があるが,老いは戻らない

まあ,これが大きな違いですかね。自分に関して言うと、病気は治るものではないので、老いと病は同じものと考えてきた。

いずれ体が利かなくなるのはどちらも同じ。

それでも、まあ、病気やら事故やらあっても生きてきた。鍛えたり、考え方を変えたり、学んだりする事でカバーは出来たわけです。

老いは違いますね。

100ℓはいるバケツが,ある日気がついたら90ℓしか入らなくなる。

まあ、それでもやろうと思ったら出来る。別に10%なら無駄なものカットすれば対応出来ます。

休んだら回復すると思っていたのが、回復しないと言うのが続いて、まあ、疲れが溜まってるんだろうな、長い事無茶して働いてきたからだと思ってました。

違うんですよね。もうそれが自分の体力の上限なんですよね。

気がついたらバケツに50ℓくらいしか水が入らなくなってたみたいと言えば伝わりますかね?嫌になっちゃいますね。

病気との付き合いが長いから、老いへの対策もしてたつもりなんですけど、予想よりスピードは早かったですね。

何事にもコストがかかるのは老いも病気も同じです。服薬の時間、通院の時間、痛みに耐える事や動くことが難しい事。

老いに対する対処が甘かったのは、病気が服薬で抑えられていた面も大きいんでしょうね。出来ることの制限はもちろん色々あったりしても、その中で工夫して対処可能ではあった。

衰えをカバーする事はやろうと思えばできる。まだ,出来る範囲です。でも、これが面倒になってくる。体調を安定させる事はさらに難しくなる。睡眠はうまく取れなくなるし、鍛えても、痛める可能性が高くなる。

全部のコンディションが整うと言う事がなかなかなくなる。その上体力がなくなってるから、準備に時間がかかるものは出来ないですね。

演奏なんか特にそうですね。技術を維持するのに必要なコストを支払えなくなる。

体力と気力,思考力に問題がある時は、多分全部,体力が問題なんですよね。

ボトルネックがパフォーマンスを規定する。全部体力が関わってきますもんね。

老いるって自分の内部の変化が物凄いんだなと。

常に自己定義をしないといけない。

出来なくなることが増えるのもそうなんですけど、今後出来なくなることを踏まえて考えなきゃいけない。

今,その必要性を酷く感じているのは、演奏が難しくなってきたからなんですよね。

コンディションが安定しないから、練習も難しい。怪我することも増えてしまってるから練習も難しい。モチベーションは全然なくならないんですけど、フィジカルな面で上達するのはなかなか厳しいでしょうね。

自分が重要に思っている価値をその都度確認せざるを得ない

はい。これが老いの最大の特徴なのかなと。あくまで私にとってですけど。

出来なくなることが増えるなら、出来る中で自分が重要に思っていることを進めることになりますよね。何もしないということは出来ない。それは本当に苦しい。

今まで自分にとって重要だったものが出来なくなる。捨てていくしかない。これも苦しいことですけど、何かをせずにはいられないように人間は作られてる気がします。

絶望しないためにはどうするかはもう考えてきた。

絶望に対抗するには楽しいこと、熱中できることを見つけることだというのは自分の中で結論は出た。自分にとって価値があるかどうか、自分しか本当にわからない。

自分を知るってことは大事なんだと痛感しますね。

今までもいろいろ考えてきているけれど、もっともっと自分にとって大事なものはなにか問われることになるんでしょうね。

まあ、捨てるたびに自分という人間が何者かわかる気がしてある意味面白いですよ。

Liveloopingもちょっと難しいかなあ。

経験は役に立たないこともある

経験は大抵の場合役に立つんですけど、役に立たないこともある。

特に、出来ることが減ってくると簡単に絶望してしまうなと。

これくらいやったらこれくらいのところに到達するだろうというのは、経験があるからわかることではあるんですけど、出来ないとなったら、簡単に無理だとなってしまうのかなと。やることの多さがわかるから、怯んでしまう。

絶望は可能性が固定されること。主体性を持てなくなることだと考えてるんですけど、同じことを同じやり方でやっていたら簡単に限界が見えてしまう。だから、変わり続けないといけない。面白くなるようにアンテナを立てなければいけない。

新鮮なことが少なくなる、興味の範疇が狭くなることが問題ですね。

まあ、興味の範疇が狭く、深くなることで深化していくこともあるので悪いことばっかりじゃないんですけどね。

考え方を変える必要があることや、やり方を変える必要ってあるんですけど、新たなことを学ぶ好奇心がないときつい。

そういう意味では若い頃から学び続けたのは良かったんでしょうね。

情報のチャンネルが広ければ、面白いものは増える。面白くないものって多分なくて、自分の知識が足りないだけなんですよね。

まとめ

とりあえず、甥にドヤ顔するために3点伝えることにします…

  • 老いは自分の変化が激しいので、絶えず自分の価値観と向き合わざるを得ない。
  • 自分が何が好きなのかを知っておくいい。
  • 面白がれるために学ぶ方法を知っておくといい。

抽象的すぎて全然役に立ちませんね。甥の呆れる顔が目に浮かぶようです…

でも、もっとコンディションを整え、持っているものをうまく使い、自分が退屈しないように学び続けることは出来ますね。

老いについては、コンディションを整えるということが大きな課題になると思うので、ちょっとそのあたりも考えてみます。ちょっと食事やトレーニングなんかの記事も書けるからテンション上がってきましたよ。

ボンクラでもヘラヘラ笑って最後まで前進できるように生きたいです…

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