なぜ技術にこだわるのか
今日はパッド研究会があったのだけれど、パッド研究会の記事は後日、頭を整理してから書きたい。
今日はちょっと酔いも回っているので、昔話を。
楽しい話ではないので、普段のブログとはトーンが異なることをお許し願えたらと思う。楽しい話ではないので、楽しさを求める方は、ブラウザバックしていただきたい。
挫折ばかり
私の人生はマジで挫折ばっかり。もともと病気持ちだったので子供の頃は病院で暮らしていた。いろいろ自分は欠けている所があるなと思う。
子供の頃に誰もが学ぶような価値観を学びそこねた。
ある程度健康を回復して、自分が生きてきたのはドラムがあったから。
まあ、そのことは過去記事でも書いた。
本当、ドラムが叩けるということでしか、社会との接点が持てないと思っていた。
自分が認められるのはこれくらいしかなかったから。
なぜドラムだったのかというと、ドラムには技術があったからだ。技術なら学べると。これは自分の生きる上での信仰みたいなもんです。
叔父さんの影響
叔父さんの影響は大きかった。あの時代の人にしては、技術で話せる人だったからだ。
技術は言語化できる。技術である限り習得できると。これは自分の生き方のベースになった。
だから、技術にしがみついたとも言える。自分には何もなかった。
健康も希望も。
ただ、スローンに座っている瞬間だけは自由だと思った。技術が世界と自分を繋ぐ。
事故はでかかったですね。18で余生ってのもなんですけど、事故当時はそう思いました。
師匠の影響
ギターに転向した時はもう、わらっちゃうくらいダメだった。
ドラムがダメだからって、そんなすぐにギターに気持ちを切り替えられない。自分はドラマーなのにってずっと思ってました。
でも、習った師匠が良かった。
出来ないのは、技術が足りない。
技術は学べるものだと。技術を学ぶ過程でお前は作られる。学ぶことができるなら、それは相手を理解できることだと。
技術って、相互理解なんだと。ドラマーで全然ハーモニーなんかわからなかった。師匠には感謝してます。
世界を広くすることが出来たのは、技術がある人のおかげ。技術を持っている人に対する尊敬の念は私の根幹なんでしょうね。
人生はうまくいかない
で、二度目の事故で今度はギターもだめになった。
まあ、二回交通事故にあって生きてるんだから、強運なんでしょうね。
もうね。努力とかそういうのムダだなと思いました。
ドラムが自分が望むほど上手くなれないんだろうなと思った時の絶望感もひどかったけど、またかよって思いましたね。
自分が才能あるなんか思ったことないですよ。でも、自分でやるだけやってダメならあきらめも付く。
やっとギターが自分の楽器と思えるようになった。まあ、馬鹿みたいに練習したんです。私は本当に不器用だし頭悪いですからね。
あーあって。
まあ、右で弾くより左で弾くほうが弾けるようになるかもしれないと言われたんで、10年は左で練習しました。
右が多少動くようになったから今は右で弾きますけど。まあ、でも自分じゃないみたいです。
なりたいものになれなかったなあ。
人生、得たいものなんかなにも得られなかった。
ドラムやギターが自分の思うように演奏できたら良かったんですけど。
まあ、大それた望みですね。プレイヤーはみんなそう思って人生を送るわけですが、限界までやりたかったと思いました。
私は負け犬だなと思って生きました。
でも技術に救われる
でも、私は技術に救われてるんですよね。
スペカンさんに習えたのは本当に大きい。私、やっぱりドラマーなんだなって思った。
私が、実際、若くて可能性があるフィンガードラマーの様に叩けることはない。
でもね。自分の持っている能力を全部使える機会を与えてくれた。
これはスペカンさんが生涯かけて学んできた技術のおかげなんですよね。
去年の今頃では考えられないくらい動けるようになった。
今日、パッド研究会でAkimさんとセッションして、莫大な時間を技術を習得することに費やしてきたのがわかったんですね。音聞けばわかりますよ。
プレイヤーに対する同族意識ってのは、ある意味血より濃いです。
ちょっとオマー・ハキムの話が出たんですけど、私もスペカンさんもAkimさんも全員わかる。全員年齢も違えば、育った場所も違う。聞いてきた音楽も違う。
でも、共通する言語はある。
技術ある人は凄いんですよ。それは尊重されて欲しい。
それって、その人がどれだけ自分と向き合ってきたからですから。
これ、別に、音楽だけじゃないですよね。
私が凄いと思う人に共通しているのは、自分の可能性をクールに見つめた上で、そのなかでベストを尽くす人なんです。
自分がやりたいこと
やっぱりね。スペカンさんにしても、Akimさんにしても、技術がある人は大事にされて欲しい。
私はプレイヤーとしては終わってるけれど、それでも、希望ってもてる。
代償行為って言えばそうでしょうね。
でも、それのどこが悪いんだと思うんですね。
自分に期待できないで私は人生のほとんどを過ごした。
でも自分以外の誰かが、他の誰かの可能性を広げられるかもしれない。
だから、私の職業が翻訳と教えることになったのはある意味必然かもしれないですね。
誰かにわかるようにすること。誰かに教えることで自分が行けないところまで到達してもらうこと。自分に期待できなくても誰かに期待できる。それは、私には大きかった。
自分にそれが出来ないなら、できる人たちを応援することはできる。
おじさんが、前のめりで死ねって言ったんですね。
私はその言葉に鼓舞されて生きてきた。
自分の人生に主体性をもたせること。どんなに不自由であっても、やれることはゼロじゃない。
技術がある人が、評価されて欲しい。どんなに不如意であっても、これだけは手放したくない。
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