西武新宿 萬馬軒 炒めた野菜とクリーミーな味噌ラーメン
仕事の資料を探しに新宿に。
目的の資料は見つからなかったものの、本屋に行くと色々刺激があって楽しいものだ。
歌舞伎町で飯を食って帰ることにしよう。
飯も食わずに歩き回っていたので、疲れたしお腹も空いた。
西武新宿駅近くのこの店に入ることにする。
チャーシュー麺を頼む。なかなかのボリューム。
店内は狭く8席ほどの空間。
良い味噌の香り。野菜を炒めるリズミカルな音が聞こえる。
ネギ味噌チャーシュー麺を注文。
スープは濃厚でクリーミーだがくどくない。味噌だけではなく奥行きがある味。
野菜にしっかり火が入っているのは、最近のラーメンでは珍しいのかも。
炒めた野菜とスープが合わさって美味い。
炒めた油なのか、胡麻の香りと旨味も後を引く。
もやしはしっかり火が通っていて、ネギはシャキシャキしている。食感の違いも楽しい。
中太麺はコシがあって、スープにしっかり絡む。
加水率はやや高め。
スープと合わせてもうまいし、炒めた野菜と食べて食感を楽しんでも良い。
チャーシューは柔らかいが肉厚。これもスープと食べると別の表情を見せる。
完成度が高い。
ラーメンは面白い。それぞれの個性もあるけれど、ジャンルごとの特徴もある。
味噌の場合は、濃厚な味付けが基本だろう。
薄味の味噌ラーメンと言うのはあるのかもしれないが、味噌ラーメンとして成立しにくいのではないか。
材料によって適切なバランスが決定される。
その中での創意工夫と言うのは知識がないと出来ない。
なんでもそうだよな。
昔、師匠に「それをやったら成立しない。お前のは新しいのではなくて、無知で考えていないだけの自己満足だろ。」と事あるごとに言われた。
滅多斬りだな…
革新と無知は驚くほど違う。
不出来な弟子を叱ってくれた苦労を思い出すと恐縮する。
同時に感謝の念も湧くのだが。あ、でも腹立つことはあるな。
自分の少ない知識では、単に痛々しい勘違いを繰り返すだけだった。
穴があったら入りたい…
「聴け」と言うのが師匠から学んだ一番の教訓。
いまだにそれを考え続けている。
自分よりはるかに上のレベルの人が言ってることは様々な意味がある。とても今でも理解出来ているとは言えない。
何を一番重視するのか。
中心になるものを理解した上でのバランス。
結局、何も理解できていなかったんだよな。
わかっていると思った時点で、ほとんどは間違っていた。
ちゃんと出来ない段階ほど、自分は理解していると思う。
人間はそんなものなのかもしれない。
いや、自分が愚かなだけか。
無知であることは恥だ。知ることだけは自分でコントロール出来ることだ。
新しいと思ったことが、すでに手垢のついた手法だったり、陳腐だったから捨てられたことも学べばわかる。
センスというのは、究極的には知識と分析力だ。
感覚が大きくものを言うものほど、勘違いは多くなる。
だから、学ばなければいけない。
何度も違う形で教えてくれたのに、わかりが悪かったよな。
考え方を教わったことは何より大きかった。
自分の感覚が優れているとでも?
うう、思い出すだけで赤面する。
怒ったり、注意してもらえる間はまだ良い。
わざわざ低レベルなものに注意するほど人は暇じゃない。
自分にそんな価値があるとでも?
学ぶ姿勢がないものにどうして他人が貴重な時間を使う?
無用なこだわりで何もできないまま同じことを何年も繰り返すの?
未だに出来ないことばっかりだし、ぶれては考えての繰り返しだ。
けれど、その陥穽から抜け出す方法はある。
傲慢さを排して、自分なりに進歩する方法。どんなにみっとなくも一歩でも前には進める。
それは敬意を持つことだ。
理解できなくても、好きでなくても、敬意を持つことはできる。その人が好きでなくても、その人の仕事や技術に敬意を持つことは出来る。
師匠に厳しくしつけられて何度も腹を立ててたものだったが、絶対的な信頼があった。
自由になりたいと思い続けた。
ああなりたいと思った。
なれないことを理解してもなお一歩でも近づきたいと思った。
自由を得るための訓練とは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
自由は自分から自由になることでもある。
美味いものを食うと考えさせられる。
優れた仕事は賞賛されてほしいし、技術を持っている人も賞賛されてほしい。
美味しかった。また、来ます。
萬馬軒 歌舞伎町店 (ラーメン / 西武新宿駅、新宿西口駅、新大久保駅)
昼総合点★★★☆☆ 3.7
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