なぜ無駄が嫌いなのか考える
東京に戻る新幹線の中で嫌いなものについて考えようと思ったので書く。自分へのメモ。
自分の好きなものについては充分考えてきたが、嫌いなことについて、なぜ嫌いなのかについてあまり考えられていないことに気づいた。
無理ない暮らしは、自分にとっては無理をなくすこと。生きる上で楽に生きられること、限界をなくすことだと考えてきた。
主体的に生きると言うことが自分にとっての無理ない暮らしだということは一年ブログをやって考えて答えは出た。
楽に生きるということは、もちろん、コストを減らすと言うことでもある。
嫌いなことというのは心理的なコストだ。不快な時間が短ければ短いほど生活に無理はなくなる。
自分が嫌なことを理解すれば、少なくとも避けるか、なくすために出来ることを考える事ができる。
定期的に自分の考えを整理しないと前に進めない。
特に今、決断することが多く、残り時間は少なくなっているのを自覚するからだ。
あと1時間は電車の中にいるので、少し考えてみよう。
無駄が好きという人はいるのだろうか。ちょっと想像できない。
自分が嫌いなものと言うのは、自分にとって無意味なもの、無駄なものが多いものだ。価値がないといえば良いか。
ポトラッチについて考える。ポトラッチはこういうものだ。経済的な破綻があったとしても、饗応するという慣行だ。
《元来は消費・贈与の意》北アメリカ太平洋岸のインディアン社会に広くみられる、威信と名誉をかけた贈答慣行。主催者は盛大な宴会を開き、客に蓄積してきた財物を惜しみなくふるまって自らの地位と財力を誇示し、客もその名誉にかけて他の機会にそれ以上のもてなしをする。
デジタル大辞泉より
民俗学でよく取り上げられるポトラッチ。
贈与というのはある種の攻撃でもあるのだなと思うが、これは無駄とは感じられない。
威信と名誉で人は生き、時によっては人を殺すこともあるわけだ。
だが、遅々として進まない議論や、結局自分の意見は取り入れられないとわかっている会話には苛立ちを感じる。
時間の無駄だと感じる。
無駄が嫌なのは、時間や金銭という観点か?
時間は金銭に置き換えられる。ということは、金銭的な出費が嫌ということなのだろうか?
飲みに行ったとする。旨い酒があったから朝まで飲んだ。一晩飲んだのだから、それなりの出費がある。朝まで飲んだから二日酔いかもしれない。
時間も金も消費した。だが、それを無駄だと思うだろうか。
自分ならそうは思わないだろう。飲みたい気分の時にいい酒が飲めたのならそれは無駄ではない。
自分の一生で飲める酒の量は決まっている。
では、接待で飲みに行ったとしよう。
自分では関係性を維持することが以前ほど重要ではなくなってきたと感じているとする。
一晩中飲むわけではない。費用は経費で落とせる。
だが、無駄と感じるだろう。その時間があれば、読みたい本を読めた。自分がやりたい音楽もできた。
考えなければならないことについて考えられただろう。
無駄な時間を過ごしたと感じるはずだ。
無駄は価値があるかないかで決定されるが、命と比べたらどうか
となると、無駄というのは、自分にとって価値があるかないかで決定されるということだ。
だが、自分にとっての価値とはなにか?
となると、考えが止まってしまうのだ。
好きなものが価値があることは間違いない。
更に考えを進めよう。
先程と同じく、酒を飲みに行ったとする。旨い酒があった。朝まで飲んだ。調子にのって急性アルコール中毒で死んだとする。馬鹿だ。無意味だ。人生を無駄にしたと思うだろう。
だが、生命と天秤に掛けたら当たり前だろうとは言えないはずだ。
人は名誉に生き、死ぬこともあるからだ。
自分の病気が悪くなったとしよう。延命治療は望まない。それは無駄と言えるのか?
無駄ではないだろう。
この2つの共通点と、共通してないところを考えると見えてくることがある。
自分にとって価値というのは自分でコントロールしているかどうかが大きいという事だ。
つまり、全てにおいて自分は主体的であるかどうかを重視していることになる。
自分にとっての価値は結局主体性、コントロールしている感覚
必要でないものを買った。無駄だと感じるということは、自分の欲望をコントロールしてないことに対する苛立ちだろう。
接待で、時間を無駄にしたと感じるのは、嫌なら断って他のことを選択するということができなかったということだ。
つまり、自分が自分の人生をコントロールできない苛立ちということになる。
自分が嫌なものは、大抵の場合はこのコントロールできるかどうかという感覚だろう。
どうするか?
自分がコントロールできないものには近づかない。
やりたいことをするためにお金を稼ぐというのも生き方だが、やりたくないことをしないためにお金を使うというのも生き方だ。
自分は前者を目指して生きてきたが、いろいろ無理を重ねて後者にシフトしていった。
コントロールできるようにするには、よりコストをおさえた暮らしというのは必要だろうな。
嫌なものはやらない。そう出来るように常に準備しておくことだ。
自分でコントロールできる部分を増やすことをあたりまえだけれど意識する。残り時間をいつも忘れない。今以上に時間がある時はないのだから。
追記:2022/08/14
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