自分から自由になること | 無理ない暮らし
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自分から自由になること

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自分から自由になること

体調が悪い時や心がザラつく時は極力自分から自由になる方法を考える。考え続けている。

自分から自由になるというのは抽象的な物言いだが、生きる上で役に立つ技術だ。

少なくとも自分に役に立った。

病気や怪我との付き合いも長くなると時間の使い方や考え方も変わる。

良くなっていると思って痛みに耐えても、良くなるどころか悪くなることもある。

そう言う時は、視点を変える。思考停止しない。

実際、そんな事出来る余裕がないこともたくさんあるのだけれど。

リハビリがうまくいかなかったとする。

回復が一定のペースである事はない。

むしろ、一進一退しつつある程度までは治ると言うのが正確な理解かもしれない。

理解と納得は違う。

理解しても納得は出来ない。そこで落ち込んだりするのは、究極的には無駄だ。

人生のほとんどが病気や怪我との闘いで過ごすと、物の見方は変わらざるを得ない。

今、出来ることが明日できる保証はない。

では、どうするか。

自分が以前出来たことを出来て当然と考えない。進歩している場合は進歩を喜べば良い。

問題は進歩していない場合や出来なかった場合だ。その時に自分を納得させる論理を作っておくのだ。

余裕がある時に徹底的に準備する事で、余力がない時の思考を節約する。

絶望することは可能性が固定される事だ。

やりたい事、習得したい技術を成り立たせる他の要素は本当に存在しないのか?

体がきかなくても考えだけで進めるところは?

無理なら他のものにシフトすることは?

過去の自分からも自由になる。

自分を責めない。責めて出来るようになるのか?そうであるならばいくらでも自分を責めるが、意味がない事だ。

他人を責めない。同じ理由だ。

環境を責めない。

時間は不可逆で、残されている時間は悩んでいる間も過ぎ去っていく。

どうしようもない事態になった場合ほど、この技術は役に立つ。

病気や怪我と言うのは、体が弱る以上に、時間が失われる。

出来ない事が増えたり、手間をかけないと出来なくなるためだ。

本質的に、病気や怪我は老いと同じだと考えるのはそのためだ。

やろうと思えば出来る。時間という資源は刻一刻と減り、肉体的な能力は低下する。何をやるにも気力という資源を使わないと出来ない。

老いる前から老いていたという事だ。

そして、他人と比べることの無意味さは、体が悪いと身にしみてわかる。

同じ事がそもそも出来ないのだから。

だが、過去の自分と現在の自分を比べることはやってしまいがちだ。

仕事でも新しい技術の習得でも良い。

かつての成功体験は悪い事ではないが、同じ事やり方が適用出来る事がどれくらいあるのか。

駄目だった場合、方向転換したり、違う発想にいたるには過去の自分から自由にならないと難しい。

結局のところ、学び続けるしかない。

学ぶ以外に自由になる方法はない。学ぶことは誰からも奪われないとB.B KINGは言った。

もう今では使えない考え方や手法や技術であっても、学び方や適応できる考え方もあるから、捨てる事を恐れない。

自由でありたい。

Nina Simoneを聴きながら思った。

 

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