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更に思考力を使わないための技術

無理ない暮らし
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自分へのメモ。お役に立たないことこの上ないです…

書くことによって頭を整理したいので書く。自己との対話。

1月の初頭にインフルエンザに掛かって、未だに体調が戻らない。この一年の目標設定や頭の整理が出来ないまま1月が終わろうとしている状態です。

大阪に引っ越してから、コロナウイルスに罹患してから一気に体力が落ちてしまった。もちろん加齢の影響もあります。良くなってきたかと思えば体調を崩した。これを繰り返している。

そしてまたコロナウイルスに掛かり一気に衰えが来ました。おそらくもう以前の体力レベルに戻すのは無理なんだろうと思っています。残念ですけど。

今回のインフルエンザのようにどんどん体調を崩すことは増えるでしょう。

だからといって何もしないということはもちろんないですよ。出来る限りのことはやる。

「まあ、いいや」となったら、おそらく生きるのは意味は無かったし、無いと容易に結論を出してしまうことは想像に難くない。

苦痛が続き、元の自分に戻ることはないとわかっているのに前進するためには、楽しみを見出す他ないですからね。

18歳のときからずっとそういう気持ちと戦ってきた。無理ない暮らしから世界で一番遠い人間じゃないか。

楽しむことは主体性を剥奪された状態から自分を取り戻すこと。

だから色々ずっとやり方を考えてきました。

介護があったり、経済的に厳しい状態で「楽しい!」と言ってたら単に現実が見えてないだけのボンクラですからね。やばすぎる…

いくら自分がおかしいパッドおじさんだとしてもそこまではやばくないと信じたい…

ただ、苦しくても、自分がどうやりたいかが明確に見えていれば、苦しいことは変わらないとしても、それは過程にしか過ぎない。

それなら自分は最後まで主体性を捨てずに動けるのはわかってます。

ここはうまく出来ている。どう生きたいかは明確に定まっている。

調子が戻りつつある時に膝を悪くしたり、故障したりすることが増えてきている。手の状態だけはずっと良くなっていることは救いだけれど。

10〜12月は持ち直してきていただけに流石に不屈のボンクラ(ある意味最悪ですね…)であっても堪えはする。

衰えのスピードは上がって来た。ここは考えていた通り。

使える時間はどんどん少なくなっていくということです。捨てる技術を洗練することですね。捨てるということは優先順位を付けるということだから。この意識が弱い。

問題は自分の優先順位が明確に出来てないから、優先度が低いものに力を注ぎすぎているということでしょうね。

ここだな。だから考えなくても自分の限界を超えないような基準を作る必要性がある。

考えていたのに、考えを詰められていなかった。内面に入りきれていない。

だから捨てなければいけない。定義できたら後はやるだけだから。

何に自分の感情が動いたかも考えるために書いておく。

今月で一番がっくり来たのは、受験生を教える仕事で体験期間1ヶ月指導をしたけれど、見積もりでメールを送ったらそれが捨てアカウントだったこと。

学習計画を作り、スカスカな基礎を固め直し、ようやく結果が出始めたところだったので酷く失望した。別に教える仕事はずっと長くやっているので、自分のところを選択しない事に関しては何も思わない。合う、合わないはありますからね。

失望した理由は、信頼関係を初めから構築する気がない人間だったというショックが大きいか。

別に勧誘なんかしない。そして、確実に失敗することはわかっている。

馬鹿だなあ。自分を変えられる機会だったのにという気持ちが大きい。

教えてという人間はずっといるわけで、それも自分の体力的な問題から断っていたりするわけだから。本当に無駄なことをやってしまった。

自分の自尊心が傷つけられたことも原因かもしれないですね。

本来だったら、もっと自分を必要として、自分が教えたら少なくとも良い方向に持っていくことが出来た人に使える時間を無駄にしてしまった。

自分の利益を最大化するために行動する人間に、また時間を使ってしまった自分の愚かさにうんざりしています。

経済的に苦しい状態であるのに金銭的なことを問題としないのはやっぱり自分の異常さだな…

この失望は、相手に対する失望もあるけれど、それよりは自分に対する失望ということでしょうね。人は変えられないけれど、自分は変えられる。わかってるのにやらかした自分のボンクラさにがっかりしているわけですね。やっぱり。

同じミスを繰り返した。

何度も痛い目にあっている。困っていると言われると、自分は全く自分のことを考慮せずに行動してしまう。

自分の狂っているところですね。

相手の主体性を重んじようと思う自分の行動原理が、自分の主体性を押しつぶす。自滅するような思考がある。

破滅願望はないつもりだけれど。あるんだろうか。

自分の価値観は完成されている。それは誤っているとも思わないし、変える気もないし、変えられるものではない。そういう人間として出来ている。どうしようもなくてため息が出ちゃいますね…

となると、行動の時の優先順位が付けられていないことが問題ということだ。

自分の頭が働く時間が以前より減ってきているわけだから、思考力を使わず判断できる基準を作らなければいけない。賢いときの自分、過去の自分の力を借りる。

え、うりなみさんに賢い時ってあるのって?当社比ですよ…

特に若い人、弱い立場にある人間に関しては判断が正確に出来ない。自分も弱い立場なのにね。

かつて師匠たちにしてもらったことを自分でもしたいというのが自分の生きる原動力だった。

音楽では期待に応えられなかった。人間にしてもらったのに。だからしてもらったことを返そうと生きて来た。

音楽では出来ないけれど、それ以外なら自分は出来ると思ってきた。生きる意味が失われてから自分を作り直したわけです。

その気持が強いから、相手の窮状をなんとかしようとして自分がどうでも良くなってしまう。師匠たちのような人間になりたい。その想いが強すぎる。

自分の限界を簡単に超えてしまう。

師匠は、善意を信じろと言った。これは変えない。変えたら、師匠が本当にいなくなってしまうように思うからだ。その教えを無かったようなことはしたくない。

何でもかんでも師匠が言っていたことを墨守するというわけではないですよ。完璧な人からは程遠かったわけですしね。

けれど、すごく美しいところがある人だった。ギターやピアノのプレイと同じでね。

師匠の人生を否定したくない。

自分が自動的であることは変えられない。これは自分と言う人間のOSの持つ欠陥だから。そうであるならば違う仕組みで対処するしかない。

今回は、紹介以外で受けたことが失敗でした。

結論としては、出来るだけ、自分の行動がおかしくなる可能性を排除するようにすることだろう。

受験生を教える方は問い合わせをなくす。これで紹介というフィルターを介すことが出来るから失敗しない。思考力を使わない状況を作ってしまえば良いわけです。

問い合わせを残していたのが失敗だった。

基本的には紹介でしかやらないことにしているのに、今、経済的に苦しいから受けたのがミス。

迷わなく行動するリストを作っていっても、特定状況下では必ず判断を誤る。

だから、それに対応したリストを作る必要がある。感情を交えずに行動できるようにする。

一番良いのはリストを作る前にフィルタリングが終わっていれば良い。そもそも判断する余地を自分に作らせないような仕組みで対処する。

そして経済的に苦しくない状況を作れば、ミスを犯さずにすむということだ。ここはヒントをたくさんいただいたので稿を改めて書いておく。

かつての自分と今の自分でも優先順位は違う。問題は未来の自分が出来ることを考えきれていなかったということ。自分を俯瞰する時間が取れていない。

問題を認識は出来ている。だから、考える時間を作るために捨てることだ。

答えはすべて自分の中にしかない。内面に入りきれてなかったことがミス。言語化出来たので対処は出来る。引き続き考える。

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