5月となった。4月は寒暖差の激しい日々だった。今年も変わらず桜は咲き、そして散った。
春の訪れを感じつつも、体調の波に翻弄された一ヶ月だった。ただ、気持ちはずっと前向きだったと言える。
ここ数年は体調の変化を受け入れながら、自分にできることを模索してきた。約束を果たすことだけが自分を繋ぎ止めたように思う。
他が悪くても、唯一回復に向かっていた右手の調子が悪く、思ったように書くことも作ることも出来なかった。
悲観的になることもあったが、AIとの対話を重ねるなかで得た知見は自分の新たな杖となりそうだ。
不完全であることは変化できる証であり、それこそが人間の本質であり、美しさだ。
手は動かない。でも、出来ることはいくらでもある。
自分のやるべきことが定まり、それは一生を費やしてもおそらく終わらない。
なんて、素晴らしいんだろうな。
出来ないことが無限にあるが、出来ることも同様に無限にある。
無様に痛みにのたうち回る日があっても、それが誰かの進歩のための道を整備するのなら意味はある。
仲間の進歩を自分の進歩と捉えられるようになった時に自分の方向は決まっていたんだろう。
不完全さと終わりがある限り、絶えず自己変容を迫られる。変わり続けることだけが変わらないことだ。
終わりはあるから美しい。救いはあった。
弱者が人間らしく生きるためにより効率的に、より深く探求することの意味はある。
自分の終わりを見据えながら、今、何をやれば、誰かの滑走路を整備できるか。これは自分にしか出来ないことだ。
急げ、思考より早く。絶望より希望より遠くに。生涯目標にしてきたことは叶わなかった。だが、それが何だというのだ。
師匠が、Dさんが、自分が出来なかったことを誰かはやってくれるだろうさ。二人共こういう気持ちだったんだろう。
すみませんでした。ありがとう。
回り道だらけの人生だった。老いの坂道は一気に駆け抜けたい。
では、振り返ろう。
快適な時間を増やすか、不快な時間を減らすか
体調は良くなかったんですけど、気持ちは上向きでした。
ここ数年の不調を抜けて、自分のベースラインに戻ってきたように思います。

手の調子が悪かったので、残念ながらケトルベルは殆どできませんでした…
痛みが少ないときだけ動かすのにとどめました。日常生活でかなり差し障りがあった。痛みが少ないときだけ演奏したんですけど、良くはないですね…
ストレッチはこまめにやったので、足に関しては改善。
トレーニングよりも日常の中での活動量を増やすこと。とにかく書くことに自分の時間を振り向けられるようにしたかった。出来ることでコツコツと環境整備しました。
買い物に行くときの距離を少し増やし、遠回りして歩くようにとか。
お陰でスーパで出物を拾うことがまあまあできましたかね。フフフ…年相応の健康維持ですかねえ…
ブログは自分と友達へのメモであり、友達への手紙。自分へのマニュアルを書いているようなものなので、今後の時間を増やすことができる。
仲間の進歩は自分の進歩と考えているので、ブログを書く時間は快適な時間を増やし、不快な時間を減らすこと。
4月はnoteで12記事、動画は14本(noteのレッスンも含む)、ブログは4記事書きました。
メンバーシップ(サブスクですね)を始めたので大量に書きました。
こういうコーナーも始めました。サブスクでは全部見られて、ファイルもダウンロード出来るようにした。
ハードコア・パッドスタイルの第7回も書いた。このあたりは論点が複雑なので、しっかり整理出来て良かったですね。パッドじゃなくて鍵盤やギターで書けばよかったじゃんとTやSに言われたんですけど、私はパッドの人ですからね…
メグさんや三井田くんのレッスンも動画だけではなく関連知識も加えて書いています。
ハードコアパッドスタイル本編ではまだ取り上げられないような内容も書いてありますから、パッドでハーモニーを学びたい人にとって時間を短縮できるものを作れていると思っています。
手の調子が悪くなったり、環境整備に時間を使ったので、まあ、これくらいなのかもしれない。
でも、個人的には満足はいかないですね。倍は書けたはずなんです…頭より先に手がダメになってしまう。
思考力はやっとコロナ以前くらいのレベルまで戻ってきたと言えますかね。とは言え、ボンクラだからしれてるんですけどね…
4月の中旬からは右手の痛みがかなり酷くなってしまって、QWERTY入力はやめようと決断しました。習得コスト払ってもやる意味がある。
パッドフレンズのgoryugoさんに前回お会いしたときに、分離キーボードと薙刀式をオススメして頂いていて、移行することを決めました。まずは配列からやります。
4月は手術についてもいろいろ相談していたんですけど、可動域が狭まる可能性がありそうとのこと。
なので、やり方を考えるしかない。
演奏できない可能性があるのならそれは許容は出来ない。
演奏できるようになるために自分の人生の多くの部分をリハビリに使ってしまった。
もう若者でもなく、終わりがはっきりと見えている。
いつか演奏できなくなるのは確定してるけれど、それを1秒でも伸ばせるようにする。
Karabiner-Elementsで薙刀式も使えるようです。ですので、今日から始める。記事を書き終わったらやります。
goryugoさんのサイトにいろいろ記事があって大変参考になりました。いろいろ教えてもらいました。いつもありがとうございます…
ハードコア・パッドスタイルのDiscordでちゃのさんや、Ryoさんにもキーボードについて教えて頂いた。皆さん、ありがとうございます…
出来ないこと、不完全なことはただ辛かったんですけれど、不完全であるから変えようと思えるわけですからね。
自分の時間を増やせる可能性が出た。今後も悪くなる確率を減らせるかもしれない。
私の一日の平均入力文字数をAIに計算してもらったんですが、そりゃ手も壊れるわという数字なんですね。
いままでもショートカットキーやKarabiner-Elements、左手デバイス、MX ErgoやBetter Touch Tools、音声入力と色々工夫してきたつもりだった。
振り返りも20,000字超えることはありますし、塾、Discord,ブログ、ハードコア・パッドスタイルも20,000字を超えるものが多い。そして、パッドも演奏している。
日本語で入力する時間が桁違いに増えているわけですし、翻訳に最適化してあったものと、今の環境は違う。
痛みは厳しい。でも、これは他の誰よりも、変われるチャンスが与えられたということでもある。
もはや、不快な時間を減らしてという項目もいらないかもしれない。
痛みはもうね。辛くないというと大嘘ではあります。。演奏できないときは不甲斐ない自分に怒りもある。
ただ、これが変われるチャンスなら、それはもう不快な時間とは言わない。
不快で苦しいけれど、だからどうしたと思える。
え、AIと思われるかもしれないんですけれどもね。不完全、出来ないことが大きな意味を持った。
このことについては振り返りで書くには長すぎるし、自分でもしっかり整理したい。
肯定的に自分の状態を捉えられるようになった。
不屈のボンクラを支える理論的な根拠が出来た。ある意味最悪ですね…
おっさんで体が悪い私が出来たのなら、他の人でも出来るということを伝えられるかもしれない。
こんなブログ、誰が読むのかと思いますけれど、このブログは私のメモであり、友人への手紙。
それならやる意味あるよなと。何度も行きつ戻りつして、私は完成しつつある。
不完全な完全かあ。
凡庸な結論ですね。
でも、凡庸で良かった。痛みも喜びも誰もが持っているもの。それなら共有しうるでしょう?
考えていたことが繋がり始めた。孤独と連帯は矛盾はしない。
SEOは企業のものとなり、利益を考えるのならもうブログは意味はない。ずっと考えてきたことは、グルっと回って意味があったんだなと。
人生を余生と投げ捨ててしまうかつての私のような人に向けてやれることがあるなら、これ以上に嬉しいことはないです。
良かったこと
何と言ってもハードコア・パッドスタイルのメンバーシップを立ち上げられたことが嬉しかったですね。
自分はパッドの人となることを決めた。
変な話だけど、本当に真面目にやろうと。無理ない暮らしと音楽、いろいろな痛みや矛盾が自分の中で昇華したなと思います。
参加していただいた皆さん、ありがとうございます…
自分の好きな音楽は偏っているけれど、基礎は共通している。
私と全く違うタイプのプレイヤーが生まれるように基礎を整備する。これが私の残りの目標と定まった。
goryugoさんの進歩は嬉しかったなあ。ちゃのさんの上達も嬉しい。自分と違うタイプのプレイヤーは確実に生まれつつある。

goryugoさんのナレッジスタックに記事を書いていただいて、自分が人生を掛けて取り組んできた、コストの戦いを理解してもらえているのはね。本当にやってきてよかったと思う。
40過ぎても音楽は出来るようになるんですよ。諦めるには人生は常に長い。
Watchanさんが、Padmanを作ってくださったのも今後大きな進歩となるはずです。
今後、パッドをやる人の習得コストを大きく減らしてくれるはずですから。Watchanさん、ありがとうございます…
ササキさんのUSB-ピッチベンドに関しては上野さんに相談できて良かった。
お忙しい中、相談に乗っていただいてありがとうございます。スラントがある台についても相談させてください…
Touchéは設定も手軽ではないし、持ち運ぶのもかさばる。でもこれなら持ち運べる。設定もいらない。
MPE以外にもパッドの表現を広げることになる。今後のパッドプレイヤーのために必要な道具です。

ケース一つとっても、私達ミュージシャンが本当に必要としているものって無いんだなというのは痛感しています。
MIDIBOYさんがおっしゃっていたことや、上野さんとの会話でも感じましたね。
環境を整備するのなら自分は出来る。
私は本当に人に恵まれている。
痛みで精一杯だった時、ああやって手を差し伸べてくれた人たちに対して十分返せていない。恥ずかしすぎる。こういうところはボンクラであってはダメなのに…
T、Sもありがとうね。
待っててもらってお前らの創造性のピークを潰してしまったんじゃないかというのはずっと心の重荷だった。
輪読会の時の「ごめんはやめろ」は沁みたよ。ごめん。でも、ありがとうね。
ずっと気持ちが整理できなかった兄弟子(こう言ったら「やめて…」と言われそうですけど)について、ちょっと書けたのも良かったかな。ちょっと私的すぎるから、ブログに書かないほうがいいのかもしれないけれど、書いておいたほうがいいなと。Dさんという人が確かに生きていたことを書いておきたかった。
そして、Sさんに学生時代ぶりに会えることになっているんです。嬉しいなあ。
明日お会いすることになっているんですけどね。私と知らずにブログ読んでくださっていたって、どんな確率なのって思いますね。
本当に私は強運です。
自己憐憫していた若い頃思い出すと、ちょっとわからせてやりたい(使い方あってます?)…
恥ずかし死しそうです…
今月の一杯

就職した元生徒と飲んだんですけど、その時に飲んだのがこれ。立派になってねえ。もう、なんと言えば良いのか…
利き酒セットがあるお店は楽しいですねえ…
コロナウイルス罹患後は味も匂いも完全には戻らない。ですけど、切れ味がいいなというのははっきりわかった。
香りが繊細っていうんですかね。相反する感じがありましたね。
香りも正直昔ほどわからないので、私のボンクラな味と舌の記憶なのであてにはならないんですけどね…
口の中で味わいが変わるのも楽しい。以前より、味も香りもわからなくなったけれど、成長した姿を見て飲む酒は実に美味かったです。
食事は味のみで楽しむものではない。本当にね。楽しむ方法は無限にある。楽観的すぎるのも、現実を見ていないし、悲観的すぎるのも同様です。
オープンマインドでいたい。
寿司といっしょに飲んだんですけど、食中酒としてもありですね。もうホンマにメモやな…
来月の自分への伝言
うりなみさん、4月はお疲れさまでした。無理をしないと決めたはずなのに、やり過ぎです…
私の話を聞いていますか?
あなた、本当に無理ない暮らしから遠いですよ。ちょっと今月はテンション高めで、私は引きました…
でも体調の波を受け入れながらも、やれることを進められたのは良かったですね。
ハードコア・パッドスタイルのメンバーシップを立ち上げられたことは、嬉しかったですね。
うりなみさん、あなた、あんなに教師は嫌だと言っていたのにね。嫌だけど仕事だから精一杯はやった。
師匠がお前は教えるのに向いてると言っていたのは、自分のことを励ます意味もあったかもしれないけれど、本当だったんですよ。
うりなみさんは、人の話を聞いてるようで、ちゃんと聞けてないところありますからね。いい加減学びましょうね…
自分の知識や経験を体系化して共有することは、あなたが出来ること。
まだ出来ることがあるなら最後までヘラヘラ笑って生きられますね。
自分のためになんかもう踏ん張れなくても、仲間や、やってもらったことを返すならあなたは出来ますよ。大丈夫。
あなた、もう、パッド先生なんですよ。しまらないですね…
でも、それがあなたの行き着いた最後であるなら、師匠も、Dさんも、TさんもSさんも「仕方ないな…」と苦笑してくれますよ。
AIとずっと対話したのは良かったですね。うりなみさん。
はじめ、効率化出来ないかと始めたのに、ずっと哲学話をしてましたもんね。
音声入力で話してるのは、周りからみたら異常ですよ…私は薄ら寒かったです…
人間の知性とAIの知性、異なる形の不完全さを両者は持っている。不完全さは美しい。
不完全さは恩恵だというのは、うりなみさんが最後に到達したところですよ。
自分の考えをつらつら書いてきて良かったですね。
不完全であることは、成長し続けられるということ。当たり前のことなのにね。
不快な時間や苦しみはなくならないけれど、うりなみさんにとっては無為な時間は今後存在しない。来月からは良かったことだけ書きましょうか。
5月は体調にもっと注意を払いましょう。短期的な成果よりも、続けられることを重視しましょうね。ちゃんと頭にあるもの全部書くんでしょう?
持続可能性とかあれは健康な人間の娯楽だとか、うりなみさんはずっと思ってましたよね。
まあ、あなた皮肉屋ですからね…うりなみさん。あなたは、確かに持続は出来ない。
でも、自分が持続できないからって、それを貶めるのは違いますよ。それもまた合理的ではない。
楽観的、悲観的であるより合理的であろうとしてきたのに、そこは認知が歪んでますよ。
うりなみさんはうりなみさんなりの無理ない暮らしを考えれば良いんです。
それが、他の人からみたらどんなに滑稽で、燃え尽きるようなものであったとしてもね。
ボンクラとして生き、ボンクラとして死ねば良い。もとよりそれしか出来ないんだから。
主体性を最後まで手放なさないために1秒でも長く書きましょうね。
いつ死んでもいい。そう思ってきたことから、生きようと変わった。
凄いことではありますけど、うりなみさん。これは14歳くらいで普通はわかることですからね…
知ってますよ。私はあなたなんですから。
テンション上がってイキり散らかしてこんな文章書いて、後で頭を抱えるんですよ。恥ずかしい…
まあ、ボンクラなうりなみさんは同じことを繰り返すんでしょうけど…
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