愛に永遠はあるのか



愛に永遠はあるのか

300記事目になった。12月スタートと考えると、こんなものかなと思う。

400記事目までは、自分が書きやすいものを書いていくことにして、デザイン性を少しずつ上げていきたい。

200記事を過ぎたあたりから、動画を少しずつ入れることにした。自分ができる範囲で少しずつ組み込みこんで動画を撮ることに対しての慣れを作った。

まだまだ量で向上する段階。新しいことを始めるのは向上できる余地があるから楽しいものだ。

改めて300記事目になって、ブログのタイトルが無理ない暮らしであることは自分のテーマなんだなと感じた。

無理がないとはどういうことか

無理がないということには2つの意味がある。

  • 無理がない。やることが楽だという意味
  • 無理がない。限界がないという意味

この2つを考えていくことが自分のテーマだと。

特に、後者について最近は考えるようになっている。前者については他の人と共有できるが、後者については個人によって異なるからだろう。

限界がないというのは、自分が主体的に関わって、変えうる可能性を持つことだ。

絶望は可能性が固定されること

絶望は何をやったとしても、変えようがないこと、覆せないときに起こる。

死は覆せない。では、変えられない結論があるとして、その人の人生が無意味であったのかというとそういうことはない。

その人の人生の中でその人の可能性があり、主体的に生きることは可能だったはずだ。

となると、絶望はものの見方を変えられたら、絶望たり得ないということだ。

未来は変えられないが、過去は変えられる 愛に永遠はある

未来は確定していることがないのだから、理屈から言えば変えられない。

では、過去はどうか。

過去は変えられる。過去しか変えられないとも言える。

愛する誰かを失ったとする。愛する何かを失ったとする。愛は儚いというかもしれない。

確かに愛する誰かと再び出会うことはないだろう。別の道を歩むことになって、その道が交わることはないかもしれない。

だからといって、愛した誰かを憎むのか。愛したことを後悔するというのか。

それは違う。

もう二度と出会うことがないとしても、同じ時を過ごせたことに永遠に感謝することはできる。

過去は変えられる。永遠はあるのだ。

愛に永遠はある。

だから、使ってないZoomのG5があったとしても、無駄遣いだと責めないで欲しい。だって買ったときは楽しかったんや!後悔はしない。永遠の愛はあるのだ!(台無し)











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