ブログを1000記事書いて考えたこと | 無理ない暮らし
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ブログを1000記事書いて考えたこと

無理ない暮らし
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2024/04/03にブログ、1,000記事に到達しました。

2017/12/04に最初の記事を書いていますね。ドメイン自体はもっと前にとっているわけですが、書いた日付から考えるともう8年目ですか。びっくりしちゃいますね。

流石に残り寿命で桁が変わることもないでしょうから、一区切りです。

2019年末から1年半ほど休み、2021年の6月27日に再開しました。もうちょっとで再開してから3年ですか。900記事から1000記事の時もいろいろありました。

まあ、生きてたら何かはあるということですね。

100記事毎に最近は振り返りをしています。900記事に到達したのが2023/09/22なので7ヶ月ちょっとで100記事書けたことになります。

900記事の時は10ヶ月近く掛かったので、少しずつ体調は回復してきたと言うことですかね。

ブログを始める前と1000記事書いて変わったこと

8年というと長いですねえ。Abletonが9から12になるまでの時間ですからね。喩えがおかしいか…

かなり生活は変わりました。

私生活で言うと再婚したこと。自分の会社を畳んだり、親のやらかしを片付けることで死にそうになったり(今でも死にそうです…)、仕事の割合が変わったことですかね。

教える仕事、翻訳、書く仕事は変わらずありましたけど、音楽がまた自分の仕事の割合で大きくなりました。

若い頃中央線沿線にいた何をして食べているか全くわからない先輩ミュージシャン達のような感じになっていて苦笑しています。

怪しいおっさんやなと思ったのに、今や自分が怪しいおっさんですから…

歳をとってまた仕事として音楽のウェートが大きくなるとは全然思ってなかったので、ブログを始めた頃の自分が聞いたらびっくりするだろうなあ。

それまでも音楽を教えることや演奏でお金は頂いたりしてはいたんですけれど、ウェートが変わった。

自分の仕事の割合として大きくなったのは正直、あんまり嬉しいことではないんですけど。

自分が上手に出来ているとも思わないし、自分以外でも出来ることですしね。

ただ、コンテンツ全部作る時に自分がやるほうがストックミュージック使うより早いし、教材という観点だと自分が機能するものを作れるというだけなんですよね。

まあ、音楽を使うタイミングは自分は教えない人より上手く出来るかな。自分で台本も書いたり、講義もやったりするわけですから。

あと、自分でやると何より安いです。自分が音楽をやれば、その分のバジェットで他にお金を回せる。それに関しては意味があるとは思っている。

「うりなみさん、出来るやろ?」みたいに、たこ焼き作れるんなら、イカ焼きも出来るやろくらいのノリで音楽を作る仕事、再開してますからね…

コンテンツ以外の音楽もやるようになっているんですけど、ええんかというのはありますね…

「イカ焼き出来るのなら、アヒージョもいけるわな?」くらいのノリでやることが広がってます。不安しかない…

不満も出てないし、遠慮がちなのも駄目なのかな。

音声教材や講義の場合、音楽がメインではなくて、コンテンツで機能するようなものを作る必要があって、TwitterやYouTube,記事に載せているようなものとは全く違うわけです。

ファンクで覚える英単語とか、ビジネス英会話にディープなソウルとか駄目ですからね。いや、聞きたい気もするな…

音楽を教える方は、DAWを教えてるわけではない。これもブログを始めた頃から比べると生徒さんは増えたかな。

こっちはファンクやソウル、ジャズ、ゴスペルなどのオールドスクールなものを作る時の一環としてDAWを使う感じです。こっちのほうが楽しいですけどね。

ブログでは全然宣伝もしないし、そもそも私がうりなみであることを知ってる人のほうが少ないですね。紹介と教えてと言って来た方だけしかレッスンしてないですし。

まあ、でも理屈やる時に鍵盤弾けない人にはパッドで説明してるから、知ってるのかもしれないですけどね。ちょっと嫌だなあ…

翻訳は、仕事が激減しました。音楽より収入の割合でいうと少なくなるとは全く思ってなかったですね。これも若い頃の自分に言っておきたい。いくつか食える手段を持っているようにしたのは正解だったと。

語学は音楽よりは全然適性あったと思うけれど、まあ、もう動き回れないしいいのかな。

受験生を教える仕事も大幅縮小。外で教えに行くのはやめて、オンラインでだけ教えてます。収益考えるなら、外で教えるのが一番いいんですけどね。

ブログ始める前から考えると、売上で言うと10分の1以下になってますから金銭的には非常にまずい。

まあ、固定費も減らしたし、自分一人で出来るように変えてきたんですけど。

もう、手早く畳めるようにしておかないといけない。自分の年令や健康状態考えると小さくしたことは良かったんですけどね。

ブログに関しては、利益は出ないと思っていたけど、アドセンスでブログ維持が出来ないくらいお金にならないとは思わなかったですねえ…

ブログをやったことで、大きく世界は広がった。ショックを受けたこともありましたけど。

何より、仲間が増えました。何にも代え難いです。生き直すことが出来ました。大げさじゃなくてね。

ブログ始める前は、いろいろボロボロだったんですよね。孤独でした。絶望していましたね。なんで生きているんだろう。死なないためにだけ生きているような感じでした。

簡単に死んでやるものかという思いだけで生にしがみついていましたね…

結婚生活もうまくいかなかった。初めの結婚は学生結婚。異文化の人でした。色々違いがあっても共に生きられると思っていた。

自分に力があったらなんとか出来たかもしれない。ちょっと前に亡くなったんですけどね。未だに現実感ないです。若くて美しい姿しか思い浮かばない。和食、ちゃんとしたもの食べさせてあげたかったなあ。

それからは自分に力があればいいといろいろ取り戻すように働いた。命を削って働いたと思います。力を金銭と言うなら、力は得たのかもしれないけれど、働き過ぎで、二度目の結婚生活は破綻しました。ハハハ…

力をつけたつもりでもボンクラだから駄目だったわけですね。大事なものをいつも大事に出来ない。

音楽も全力尽くせなかったし、どれもこれも駄目だったという失望の中にいました。

ブログを始めた頃は、小さいソウルバーでも阿佐ヶ谷か高円寺でやろうかと思っていたんですよね。不動産屋を回ったりしてました。

ある程度蓄えもあったし。自分の好きなミュージシャン呼んだり、レコーディングできるようにしたりしたら楽しいなと。自分のバンドのホームみたいなものもあるといいなと思ってた。ハモンド置いておきたかったですしね。

それも、父親のやらかしでどえらいことになって(流石に書けないです。現在進行系で大変です…)、予定も変更。また無理やりぶん回して、なんとかなるくらいのところまで来て、大阪に移住。

大阪でやるはずだったことはコロナで頓挫。コロナで頓挫して、業態変換する手伝いしてたら音楽に復帰というもう何がなんだかわからない事になってるわけです。そして再婚。マジで人生はどうなるかわからん。

ずっと若い頃からやってたオルガン・トリオが解散したこと。

自分がリハビリしてたときはやってなかったですけど、長くやって来たものがなくなった。もうね、本当に居場所がなくなったような気持ちでした。

会社がなくてもバンドがある方が全然私は安心しますもん。ファンキーであれば大丈夫。全然大丈夫ではないんですけど、大丈夫という気持ちになれます。おかしいか…

オルガンがタクシー運転手になりました。

娘の学費を稼ぐために廃業するのは仕方ない。音楽より娘を大事にできるようになったのは、友達としては嬉しいことですからね。

かつての友人がなくなったこと。かつての妻がなくなったこと。ギターの師匠がなくなったこと。終わりはずっと近くなってきました。

特に、師匠の死は大きかった。もっと学びたいことがありましたね。

でも、最後の一年、長い時間を過ごせたことは良かった。私のことがわからないことのほうが多かったけれど、ふとした時に、元気だった頃の師匠が戻ってくるのは不思議な気分でしたね。

全く期待に応えることが出来なかったというのは、自分を突き動かしてきたんだなと思います。これは後悔としてずっと残るんだろうな。

でも死ぬまでに一歩でも近づきたいと思えることは良かった。じゃなかったら、とっくに死んでたでしょうから。

ブログをやったり、無料でPUSH勉強会やパッド研究会出来たのは憧れてきた人間のようになりたかったということです。

仲間が増えた

PUSH勉強会、パッド研究会ときて、現在はAbleton友の会とずっと小さいコミュニティを作ろうとしてきた。

これ、よく考えたら無理ない暮らしをしたいからやって来たんですねえ。

1000記事書いて気づくことじゃないですね。ボンクラすぎる…

特に私の世代は、競争も苛烈だったし、経済事情に翻弄された人が多かった。壊れてしまった人も、生きられなかった人も多い。

生きることは無理しかないというのは私達の世代は嫌と言うほど知っている。

居場所が仕事だけ、家庭だけというのは危うい。だから抗いたい。

全部の場面で駄目な人間なんかいないはず。ゆるいつながりで、そこに居場所があると思ったら生きられる。少なくとも私はそうです。

居場所がないなら作ればいい。8年掛かったけど、今Ableton友の会は自分が考えたことが結実してきてます。

恥ずかしい話なんですけど、自分は不運じゃないかと思っていたんですね。不運と思うことは主体性を失っていることですからね。

ドラムが事故で駄目になって、ギターも二度目の事故で演奏能力の多くを失ってしまった。結婚もうまくいかなかった。

ただ、音楽を自分の生活のものとして、穏やかに生きたいと思っていた。届かないものがあっても、少しずつ改善出来ればいいと。それは得られなかった。今後も得られない。

永遠に回復はない。持病もある。

でも、無理ない暮らしはありますよ。限界がないという意味ですけど。

自分は変わることが出来た。でもそれは、自分の力ではない。色んな方の助けがあって出来たことです。ブログを読んで声を掛けてくださった方、いろいろ勉強会や研究会に参加してくださった方。沢山の人の厚意に支えられた。

実際に会ったことはないけれど、仲間と感じられる人がこれだけ多い私はどうあっても強運です。

ブログを友達への手紙と思ったこと。仲間の進歩は自分の進歩と考える様に出来るようになった。

たとえ指が一本も動かせなくなっても死ぬその日まで前進出来る。ちゃんと演奏できなくなっても私から音楽を奪うことは誰にも出来ない。自分からですらね。

正直ね。ブログを書き始めたときより、歳も重ねましたし、できなくなったことも増えました。更にボンクラになったしね。参っちゃいます。

でも、精神の自由は得た。音楽の理解は深まった。愛するものをより愛せている。

あとね、不思議なことなんですけど、手の状態は良くなりました。もちろん腱鞘炎もちだし、動かないところはあるんだけれど、ブログを始めたときよりマシになりました。

人生投げ出すのは秒で出来るのに、人生投げ出さないと決めたら死ぬまでみっともなく足掻かなきゃいけない。

その途方のなさに驚きもするんですけど。悪いことばっかりでは無かったですよ。

絶望の淵にいるかつての私と近い人がいたら、どうせ何もかもうまくいかないなら足掻いてもいいんじゃないかと言いますかね。

主体的に生きることはどんな状態でも出来る。ブログを1000記事書いて思ったことです。

誤解されがちですが、当ブログはAbleton大好きブログではなくて、生活ブログです…

最後の記事はもう書いてあります。「愛する技術」です。技術なら学ぶことが出来る。学ぶことが出来るなら変えることが出来る。

変わることはいつだって出来ます。眼の前の現実が1mmも動かせないとしてもね。

自分を変えることは死ぬ1秒前でも出来る。私みたいなボンクラでも出来ることは、他のみなさんも出来ますよ。

どれも師匠に教わったことでした。主体的であろうとすることはどんな時でも出来る。

あと、どれくらい続けられるかわかりませんが、今暫くお付き合いくださると嬉しいです。

みなさんも無理なく暮らせますように!

追記:2024/05/11

収益についての記事、有料記事で赤裸々に語ることにしました。1000記事の振り返りで書こうと思って忘れていたので書きました。いやあ、我ながら香ばしいです…7000文字超のなかなかのボリュームです。

ブログを1000記事書いて収益はどうだったか|うりなみ
1000記事もブログを書いたんだから、それなりの収益があったんじゃないと聞かれることがあります。興味ありますよね。フフフ… ブログを始めた頃は、アフィリエイトブログが全盛期。 自分はマネタイズに興味がそれほどなかったこともあり、Google...

コメント

  1. […] 無理ない暮らし ブログを1000記事書いて考えたこと 2024/04/03にブログ、1,000記事に到達しました。 2017/12/04に最初の記事を書いていますね。ドメイン自体はもっと前にとっているわけ […]

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