クインシーのすべて
病院の待ち時間にネットフリックスでクインシー・ジョーンズのドキュメンタリーを見た。
ブラックミュージックのファンとなると、クインシー・ジョーンズの仕事は避けて通れない。
2900曲以上録音、300アルバム以上録音。51の映画・テレビ音楽作曲。1000曲以上とのオリジナルと一人の人間にこんなに才能が宿るのかと嘆息する。
まさしく超人。
クインシーの仕事を追いかけたら、それこそブラックミュージックの半世紀になると言ってもいいのではないか。
だからこそ、クインシーに持つ印象は人によって全く異なるのだろう。
クインシーの仕事についての知識はあった。だが、クインシーがどのような人生を送ってきたかについては全く知らなかった。
『クインシーのすべて』で監督するのは実の娘のラシダ・ジョーンズ。家族だからこそ撮れた普段着のクインシー。
良く率直にこれだけ自分の内面を語ったのだなと見終わって感じた。
クインシーが特に可愛がられていたのが、レイ・チャールズとフランク・シナトラ。アメリカ音楽を代表する二人。
物語は現在と過去を行き来する。
レイ・チャールズとクインシーの交流は10代からあって、レイの伝記からは可愛い弟分のような存在だったことが読み取れる。レイが弟を亡くしていることを伝記や映画で見ていると、なんとも言えない気持ちになる。
レイもクインシーも早熟なミュージシャンで、Guitar SlimのプロデューサーをRayがやったときもかなり若い。
両者に共通するのはハングリー精神。音楽は生きるための手段でもあり、それ以上のものだった。
クインシーは述べる。
母のことや住む場所もなんともならなかったし、差別もどうしようもなかった。でも、音楽はコントール出来る、自分を自由にさせてくれたと。
自分が好きな音楽は自由を感じるものなのだ。主体性を失わないことと自由は切り離せない。
クインシーは向学心の塊のような人で、すでに名声を確立していたにもかかわらず、ナディア・ブーランジェに学びに行った。
順調に進んでいたキャリアから考えたら、本当に勇気がいったことだろう。
クインシーの仕事は充実していく一方で、私生活は幸福だったとはいい難い。精神に病を抱えた母。
ゴスペル以外は悪魔の音楽と考える人は当時は今よりずっと多かったろうし、母にそう思われたことはショックだったろう。
母との関係はクインシーの人生に暗い影を投げかけ続ける。
名声が上がっていくにつれて、夫婦関係は暗礁に乗り上げてしまう。
クインシーを傑出した人間にしているのは、ある種の危機感や使命感だった。クインシーは個人である以上の存在になっていく。奥さんも孤独を感じただろう。
クインシー自身は家庭を非常に大事に思っていたことは間違いない。クインシーの音楽や仕事は多くの人を鼓舞し、安らぎを与え、救ってきた。
が、クインシー自身は幸福だったのだろうか。老境を迎えたクインシーが、もう、友達がいないと言う時の圧倒的な孤独。
エンディングで、「試して成功しなかったことは?」と問われ「結婚かな」と苦笑するクインシーはいかばかりの胸中だったろうか。
クインシーは最後まで自分で主体性を失わないように努力するのだろうと思う。
音楽上でも傑出しているが、どんなときでも前進しようとするその姿勢がクインシーをクインシーとしているのではないか。
クインシーの仕事や人生をみるにはあまりにも2時間は短いが、どのような人生を歩んできたか理解できる良いドキュメンタリーだった。
なんとも言えない後味。
映画より、伝記のほうがレイとクインシーの関係は理解しやすいか。
あわせてこちらも読むと奥行きがあるのではないか。レーベルオーナーとプロデューサーという違いはあっても、傑出した二人の人生がわかる。個人の目からみたアメリカ史ともいえる。
一方こちらは、傑出した個人ではなく、俯瞰的に黒人文化を描写した本。
クインシーを突き動かしたのは、自由への渇望でもあったろう。ニーナ・シモンも。
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