高円寺 Yonchome cafe 昔も今変わらない使いやすいカフェ | 無理ない暮らし
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高円寺 Yonchome cafe 昔も今変わらない使いやすいカフェ

うまい飯
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高円寺 Yonchome cafe 昔も今変わらない使いやすいカフェ

今日も高円寺。

高円寺はかなり長い間住んでいた。色んなところにふらふらして結局この辺りに戻ってきたのだからよっぽど水があったのだろう。

昔もよく使ったカフェに行こう。

Yonchome cafeである。

Yonchome cafeはランチも安くてうまい、内装もアンティークで素敵なのである。

お酒も飲めるし、テラス席もある。

仕事で原稿を渡す時にもよく使ったし、練習の後でもよく立ち寄った。

カップルで来ても良いし、使い勝手が良い。阿佐ヶ谷だと遅い時間に開いているカフェがないわけではないが、少ない。

ファミレスで頭を整理しても良いが、もう少し照明が落ち着いた所でゆっくりしたい事もある。そうなると結局高円寺に来ることになってしまう。

Yonchomeカフェは食事もできるし、長居しやすい。チリコンカンも好きだ。

アイスコーヒーを頼む。ケーキもシンプルだが美味しい。ランチタイムも安く食べられるので学生さんにも良い店だと思う。

アレルギーが落ち着いて来たので、出来るだけ出歩くようにしている。

毎年のことだが、アレルギーの時期に消耗することは避けられないので、それ以外の時期に体力を回復させるようにしている。

脱力の訓練という事もある。

人生のかなり長い時間をリハビリに使って来たので、習慣化は得意になった。

そういうと、意思が強い人のように思えるが全く逆である。

意思力だけでリハビリや苦痛に耐えることは無理だ。自分はそう作られていない。

そもそも努力という意思力を使わなければいけない時点で自分はダメなんである。意志薄弱なのだ。全く自慢できないが…

努力と感じさせないような仕組みを作ること。

ある種のゲーム感覚が苦痛とうまく付き合う方法だと思う。

偉そうな事を書いているのだが、ああ、散歩の時に良い感じの店でコーヒーをいっぱい飲むからもうちょっと頑張ろうぜとかそんな程度のことである。

自分へのご褒美を与えまくりである。

そう思えば単純な自分は耐えられる。

人から見たら笑ってしまうような事であっても、自分にとっては大きな一歩だったりするのだ。

体が弱いという事は、何事も制限される。まあ、それは否定しない。人と約束することが難しい。体調が安定しない事は自分への信頼を作ることが難しい。

ちょっとの進歩を肯定する事。他者からの承認が得られなくても、合理的でありさえすれば、自分を肯定出来る。

ちょっとでもましになれるように。

歩くのが痛みがあってきついなら、勉強以外のものを聴く。苦痛と楽しみをセットにする。

どうしても嫌なミーティングがあるなら、家以外で出来るなら、外でやってからうまい飯を食う。

Yonchome cafeはそういう形でずっと使って来た。

今では会わなくなってしまった人や、お世話になった人、色んな人とここに来た。

様々な記憶がここにはある。

どこにも定住する事はないと思うが、Yonchome cafeのような場所が数カ所あれば大丈夫。

そんなもんだろう。

5月の梅雨前の季節はなにもかも美しく見える。今も過去も。そんなに良いことばかりでなかったとしても。

さて、もうちょっと歩きますかね。

ごちそうさまでした。また、来ます。

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