牛乳キャップとサイコロ | 無理ない暮らし
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牛乳キャップとサイコロ

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牛乳キャップとサイコロ

あまりにも疲労が溜まっていて、頭を使わない作業をするしかない。そんなときは気分転換にTwitterを眺める。

いつもTwitterを眺めているわけではないが、画像や映像にはっとさせられることがある。

牛乳のキャップの写真がTLに流れた。数珠つなぎのように過去の記憶が蘇る。

今、牛乳のキャップと言ったらプラスティック製のものを思い浮かべるのではないか。

そうではなく、紙製のキャップだ。

子供の頃、牛乳キャップは自分と友人たちには特別な意味があった。

友人たちという言い方をしたけれど、それが適切な言葉であるのかは自分にはわからない。

病院でともに生活した仲間といえばいいのか。家族に近くもあっただろう。

もしもう少し年齢が上ならもっと違った関係にもなったかもしれない。強い紐帯を感じた人たちだ。

いま、この歳まで生きているのは自分だけだ。病気に勝ってもその後生きられなかった仲間もいる。

自分と仲間の違いはあるのか?

なにもない。

単なる運でしかない。まるでゲームの結果をサイコロが決めるように。

病院で育つような子供でも人並みに夢を持つ。どんなところでも人は夢を持てるということだ。

自分は古本屋になりたかった。

世界は狭い。窓から見える景色が外の世界のほとんどだった。

だからといって、楽しくなかったわけではない。子供はどんなところでも楽しむ方法を見つけるものだ。

自分たちの通貨は牛乳のキャップだった。サイコロはあった。なら、ゲームを作ろう。

そこには需要と供給があり、経済が存在した。

多くの時間をベッドで過ごす自分たちにとっては手に入るものが少ない。あるもので楽しめる工夫をするしかなかった。

売る商品がない?それなら作ればいい。

起き上がれる時間が限定されている自分たちに手に入る材料は折り紙、それと食事に出てくる牛乳についているキャップだった。

これでゲームをやろう。折り紙で商品を作った。キャップは貨幣だ。

価値は投下した時間。

古典的な労働価値説は自分たちには強く支持された。時間の価値を病気の子供達ほど知っている人はいないだろう。

ゲームは面白くなければいけない。面白さを設計するのに必要なのは確率だ。

年長のリーダー格のM君が、確率の概念を自分たちに教えた。

全くのランダムはゲームとして面白くないし、完全情報ゲームは全員で遊ぶことはできない。

ゲームの面白さは、可能性が固定されていないこと。

可能性が固定されているのは絶望だと考えるようになったのは子供の頃の経験も大きいのだな。

起き上がっていられる時間は限られている。そのため30分で終わるようなデザインが必要とされた。そのため、それぞれがゲームを作るために様々なゲームを調べた。

個々人の技量はゲームに影響するものの、完全にそれで決定されるものは、ゲームとして面白くない。

ゲームの面白さはインセンティブの設計も重要だ。

ゲームが面白くなくなるのは負けが決定した瞬間に、主体性を失うプレイヤーが生まれることが原因だとわかった。どうでもいいやという態度ほどゲームをつまらなくする。

そのため、過酷なペナルティーが設定された。

主体的に生きないのは、病人だった自分たちにも生に対する冒涜のように思えたということだ。

ゲームを自分たちで作りながら生き方を学んだとも言える。たかがゲーム、されどゲームである。

一ゲームだけだと長期的な戦略は生まれない。短期と長期のモチベーションを持てるようにデザインは変更された。

長期間の勝率、順位などが生まれ、どんどんゲームは高度化した。

リスクとリターンの比を考え、レギュレーションも様々な形で導入されてゲームは複雑化していった。

ゲームは自分たちに公平だったと思う。

乱数での結果は自分たちに、納得を与えた。確率で左右されても、主体的に生きることは出来る。少しでもマシな状態になろうとすることは出来る。

病院で過ごすことの意味を理解できないほど子供は愚かではない。生きる上での解毒剤がゲームであり、サイコロだった。

ゲームの骨格を作ったMくんに

「本当はあのサイコロ、傾きあったの知ってた?」と聞かれた。

「知ってた。回数記録してたからね。だから、ゲームのルールがああなったんだよ。みんな知ってたと思う。その中でみんなそれを利用しようとしてルール作ろうとしたよね。多分、自分たちにはいいと思ったから言わなかった。」

「みんな凄いよね。まあ、でもうりなみが一番、エグい設定してたと思うけどね…俺いなくなったらルールの改定はお前がやってね。」

「やだよ。」

あんなに面白かったゲームのはずなのに、どんなゲームだったか詳細は思い出せない。でも、それでいいのだろう。

Mくんの人生にサイコロは味方しなかった。みんなもそうだ。自分にはサイコロが味方したのだろうか。

Mくんは生きていたら大学者になったかもしれない。凡庸な自分は生き延びた。

自分が楽しんでいいのかという罪悪感を覚えるたびに、その気持を振り払う。

主体的に生きないのは生き延びた自分がやってはいけない。それは冒涜だ。

たとえサイコロが自分に微笑まないとしても。最後までサイコロを振り続けるのだ。

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