高円寺 麺屋 銀星 特製濃厚煮干し中華蕎麦は鳥白湯とのダブルスープで上品な味わい
今日も今日とて歩く。
どうしたら楽に歩けるのか。
呼吸は。
歩くこと一つをとっても面白い。いかに脱力するかを考えると、一体自然とはどんなものだろうかと思えてくる。
そんなことを思っているうちに着きましたよ。
新宿で煮干しラーメンが美味かったので食べたくなったのである。
0時を回っても食べられるのはありがたい。
どんなに仕事が早く終わっても、遅い時間の人もいるだろうから、高円寺はやっぱり生活しやすい。
特製濃厚煮干しラーメンを頼む。
チャーシュー、卵、海苔、穂先メンマ、ネギというスタンダードな構成。色合いが美しい。
煮干しラーメンと言うと、醤油のものを多く食べてきたので、鶏白湯ははじめて。
口に含む。
あ、これもありだな。なるほど。
自分は煮干しが好きなので、煮干しが強いラーメンを好むけれど、鶏白湯と煮干しが喧嘩しないスープ。濃厚だけれどその濃厚さはどちらかと言うと鶏白湯が主で煮干しが従だと感じた。
麺は加水率が低く、歯切れが良いタイプ。もちもちした麺も美味しいが、これもうまい。
チャーシューは薄切りで、スタンダードなタイプ。
穂先メンマの食感も楽しい。
煮干しの粉、煮干しの油などを加えると、煮干しラーメンという味にも出来る。
尖った煮干しラーメンも美味しいけれど、こう言うバランスが良いラーメンも捨てがたい。
中庸というのがいかに難しいか。
いかに専門化するか、偏るかということに人生のほとんどを使ってきた。
まあ、バランスを取ろうとしたら、なにもかも中途半端になる事は自分の能力を考えたら仕方なかったんだけれども。
中庸が君子の徳目に加えられていたのは、中庸とは、一つの立場に偏らず、中立であることだからだ。
無理だよなあ。少なくとも自分には出来ない。
中庸は道徳を内面化出来てるという事だから、ある意味社会性の化け物のようなもんでもある。為政者とはそういうものかもしれない。
道徳と内面の価値を一致させたら究極の自由を得られるといったのは朱熹だったか。まあ、そうやけど、朱熹先生は過激すぎる。
自分が欲しいのは、中庸ではなくてバランスだよなあ。
己の中のバランス。自分という生き物が無理なく動ける環境を作ること。
物理的にも精神的にも。
人から見たらいびつかもしれないけれど、その人の中でのバランスってのはあるはずだ。
そうやって生きるのが、無理ない暮らしなのかなと思う。シンプルに生きる事は無理だとしても、シンプルに考える事は出来るだろう。自分にとっての快適さは、色々あるのが当然だ。
さ、足も休まったことだし、もうちょっと歩きますかね。
ごちそうさま。また、来ます。
面白いですよ。昔に比べると新書でも読めるのが多くなっていていいですね。朱子学に宇宙論まであるって知ってました?
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