一年も3分の1が過ぎてしまった。早い。
頭の整理がまだ十分になされていないし、疲れもある。が少しずつ新しい方向によろめきながら向かっている。
花粉が落ち着いて来れば例年通り調子は上がってくるはず。
仕事の内容を変えていくということは、生活そのものを見直すことでもある。仕事に割かねばならない時間と生活のバランスをどうするか。
社会も大きな変動期に入った。これからの無理ない暮らしをもっと考えたい。
では、振り返ろう。
快適な時間を増やすか不快な時間を減らす
先月に引き続き、なかなか難しかったですね…
とにかくエネルギーレベルが低かった。花粉が例年にも増して酷かったこともあるんですけれど、とにかくだるかったです…
外に出ると具合が悪くなるので、散歩もしない。
トレーニングは一回で全身トレーニングするだけの集中力も体力もなかったので、ケトルベルを1種目だけできる時に。とにかくやめないことを意識した。
しばらくやめてしまうと、また、神経系整えるのが大変になる。そして、怪我をするというのがいつものパターンです…
なのでできる時にやるという低レベルの目標設定で乗り切りました。自分に甘めで。
昨年度最後に限界を超えるようなことをしてしまったので、今年こそは限界を超えないようにしたいですね。まあ、今の時点で無理しないとだめなこと確定してるんですけどね。あらら…
ブログは自分と友人へのメモであり、手紙。
ブログを書く時間は頭が整理されるので、不快な時間を減らし、快適な時間を増やします。
4月はかなり記事を書きました。9記事。昔に比べれば全然ですけど、今の自分の状態としては書けたと言えますね。
内面に入れる記事を書けたのは、ちょっと頭が整理されつつあるのかもしれないですね。
意外に操作が煩雑なオートメーション。どう使うと便利か。どう考えれば理解できるか。そういう記事や動画、あんまりないなと思って整理しました。
ブルース、ソウル、ゴスペル、ファンク、ジャズなどをパッドで遊べるというものを拡充させたいので書けたのは良かったです。ギターや鍵盤で説明してもいいかなと思っていたんですけど、他の人がやってること自分がやっても仕方ないですしね。
ちょっとアイデアも浮かんできました。
理論書読む時に、弾けないからわからないというのを極力無くしたい。弾いて、耳で確認できたらそれほど難しいことではない。
そうすればパッドのプレイヤーが増えると思うので、基礎的なものはまとめたいですね…
手が悪くても、鍵盤が無理だと諦めた人でもパッドならできる人は多いと思います。楽器をやったことがない人にもこれだけ習得コストが低いものはなかなかないでしょうしね。
メイン楽器が鍵盤以外の人で打ち込みに苦労している人たちでもパッドができたら遊べることは増える。打ち込みできれば1人でも音楽を続けられますしね。誰もやらないだろうから、コツコツやっていきます…
気力・体力がなかったので、質問いただいてから頭が働いている時に一気に書きました。まあ、頭が働いている時でもボンクラなのは変わらないんですけど…
それでも、書くと少しずつ頭がクリアになりますね。
エネルギーレベルが下がっている時は、とにかくモチベーションがあがったり、すぐに効果が出ることをやった方がいいとわかってきたので、Beats Fit ProとBus Processorはいい買い物でした。
調理もだるかったんですけど、調理している時間は勉強以外の音楽を聞くこと許した。これはうまく視点を変えられましたね。不快な時間を減らして、快適な時間にできました。
Bus Processorは使って楽しい。SSLの本家プラグインも持ってるんですけど、圧倒的に便利だった。
思っていたものに簡単に持っていけるからストレスがたまらないです。
他のプラグインでできないかというとできるんですけど、たくさんプラグインを使う必要があります。
そんなの面倒臭いですしね。出来るだけプラグインは減らしたいです…
さっと作業ができるので音楽そのものに集中できた。快適な時間を増やしてくれました。
長時間ミックスするのは自分にとっては本当にダメで、ジャッジがどんどんできなくなる。耳もすぐ疲れてしまうので…自分が思ういい塩梅のものをさっと作れたのは良かったです。
Console1がかなり使いこなせるようになったことも大きかった。もはやSoftubeの奴隷です…
音は当然好きなんですけど、楽に使えるためには躊躇なく現代的な機能つけるところもいいですね。
目と手の疲労がこれだけ減るとは思わなかったです。手が悪い人、ITBでアナログサウンドを作りたい人、時短したい人にはめちゃくちゃおすすめです。
手と目が楽でConsole1薦めるのはどうかしている気がしますけど、生活ブログですから…
マウスやPCに触れなくても、Console1で処理の多くができるので聞きながらさっと調整できる。
生楽器や音声を扱うことが多いので、ゲートやローカット、位相反転もさっと変更できるのはありがたかったです…
片手だけに負担がかかることがないので、腱鞘炎もかなり楽でした。1日の疲労度がかなり変わった。
画面を見なくても大体の処理ができるのは、目にも負担少ないですしね。
生楽器でよっぽど処理が大変なもの以外はほとんどConsole1のSSL4000Eで最近は処理してます。
ギターのクリーントーンもらしく作れます。3本のギターのうち2本はConsole1で処理。リバーブを軽くかけてます。おなじくSoftubeのSpring Reverbで。
Console1だけでも全然問題なく使えるんですけど、Console1Faderが20,000円オフだったので買ってしまいました…
Console1,Console1FaderをAbletonで使う人は少ないでしょうからレビューしましょうかね。
Softube,ええですよ…音色と機能性が両立しているのはやっぱり素晴らしいですね。触っててテンション上がりました。
好きなものについてもっと書きたい。プラグインの記事も、全然使ってない記事がネットに溢れかえるようになっちゃいましたしね…楽しく遊べる方法や、より古いサウンドにするためにはどうアプローチして遊んでいるか書いていこうかなあ。
自分の実験も書くことにしていこうと思います。ブログはメモなので。
良かったこと
少しずつですが、回復してきたことです。
ブログも書く気力も枯渇してしまって、できる時にしばらく更新するという記事を書きました。もう、更新できなくてもいいくらいの気持ちでした。
いろんなことに対して気持ちが切れてしまっていた。自分がかなり長い時間かけてやってきたことが無駄だったことはショックだった。
なんですけれど、7gさんにAbletonの質問いただいて記事を書けた。書いた方が気が紛れたんですね。
そして、終わったことは考えても仕方ない。なら、新たな方向に動き出さないと。
記事を書いた方が多少しんどくても自分にはいい。
立ち止まることも必要ではあるけれど、自分は完全に止まるともう2度と動けなくなるかもしれないですしね。そして、動く方が自分は考えられるみたいです。
7gさん、ありがとうございます…
以前にも考えたことではあります。
この記事を書いたときより、確実に衰えた。弱っていても以前の自分には動かなければいけないという強い気持ちがあった。でも、今はそこまでの力は無くなってきている。
なんですけれど、本質的には変化はしていない。いやあ、無理がないということから最も遠い人間な気がしますねえ…
限界は超えてはいけないけれど、止まってもいけない。リズムを崩さないということが何より大事ということですね。まあ、ファンクと同じと考えたらいいのかな。
自分のような人間は動き続けた方がいい。あまりにも動いていないともう一度動くために多大なエネルギーが必要になる。動けなくなると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。
どんな好きなことでも、間が開くと面白さは失われてしまう。
余裕ができたら好きなことをやろうというのは無理。余裕なんか出来ないわけですから。
ブログを書くことは自己効力感を失わない。まだ、出来ることはあるし、やりたいことはあると思い出せる。こんな簡単なことすら忘れてしまうんですよ。ボンクラすぎる…
若かった頃は苦しいことがあった時は全て仕事に振り向けていました。
結果的に出来るようになったことも多かったけれど、失ったもの多かった。柔らかい機械になりたかったです。残念ながら機械にもなれないし、タフにもなれなかった。
自分の中に耽溺するというか、悲しみに溺れるようなところがおっさんなのに自分にはある。嫌ですねえ…
ブログは友達への手紙であり、自分や友達のためのメモ。
お題をいただいて記事を書くことは、自分のことだけ考える訳ではないのは本当に良かった。
で、書いているうちに少しずつ、やろうという気持ちが戻ってきた。
サンプリングされたソウル、ファンク、パッドで弾くにはどうすればいいかを動画で作るのは簡単だと気づきました。
今までたくさん採譜した譜面もありますし。カラオケの打ち込みしてた時に自分が好きなものかなりやらせてもらいましたしね。ありがたいことです…
多分、毎日更新しても死ぬまでネタは尽きない。ブログがしんどい時やってもいいかもしれないですね。
自分の余裕がない時はYouTubeに解説だけ先にアップしておいて、後でブログにまとめてもいいですしね。
理屈だけ説明しても弾くのは難しいでしょうけど、実際の曲を弾けるようになればそれだけ楽しんでもらえるはず。そうしたら、時間がなくても、手が悪くても音楽を無理なく続けようという仲間は増やせる。
GWが明けたら、仕事も方向性を変えようと思っているので、ブログに充てられる時間は少なくなる。その中でできるだろうことが見つかったのは嬉しいですね。
自分なりにAIをどうやって活用するかの方法も見えてきました。今年はその実験と無理ない暮らしに向けての仕組みづくりですね。
翻訳ももうやらない。今の音声教材、講義のコンテンツを作成するのも、もうやりたい仕事ではなくなってしまった。
どうやって生活していくんだという話ですけど、まあ、以前も大きな方向転換はしてきましたし。力が戻ってきたらなんとかなるでしょう。
どんな仕事でも外部環境の変化はある。
なんとか糊口を凌ぎながら考えます…
7Gさんにいただきました。ありがとうございます。興味深かったです。
一連の世界の流れの中で、どうやって無理ない暮らしを得ようかといろんな人たちが考えて動いている結果とも言えるだろうなと。今のシステムが持続できないことはわかっている。
もう、どうしようもないという絶望や怒りは若い人であればあるほど強いでしょう。
日本は自分の世代の時に、他の先進国と異なって、親世代よりいい生活ができないようになっていた。絶望のトップランナーと言えます。嫌なトップランナーですね…
とはいえ、日本で暮らしてる私たちは、他の国で暮らしている人より対処法を知ってることでもある。物は考えようです。
この先、もっと絶望は溢れかえる。
AIの進展は今までのイノベーションと根本的に違うのは、新しい産業に労働人口の移動はそれほど起こらないだろうことです。
法規制してAIのさまざまな分野への適用のスピードは遅くなったとしても、利潤を最大化しようした時に、人は必要ないと企業が考えるのは当然ですから。もっと格差のスピードは上がります。
そこで必要なのは、哲学でしょう。
それと、楽しむ技術。楽しむ技術は絶望しない技術とも言えるかもしれないですね。
一生かけて磨いてきた技術や、やってきた仕事が、AIは一瞬で出来て、人間が全く及ばないレベルになる。そこで生活していた人たちの仕事がなくなる。
そうなった時にどうやって絶望しないか。
その一方で、AIを使うことでより創造的なことに時間を使える人もいるでしょうし、そうでない人も出るはず。差は広がります。
絶望しないためには、他者と比較しないこと、自分が熱中できる何かを持つこと。ここまでは答えが出ている。もっと考えたい。
今月も仲間の進歩は嬉しかった。仲間の進歩は自分の進歩。ありがたいことです。教える以上に私が学んでいる方が多いです。
孤立はもっと深まる。だから、緩く繋がれる何かをこれまで以上に考えていく必要がありそうです。
楽しめるためのコンテンツや仕組みづくりにうまくAIを使えればいいですね。自分の落ちていく能力を補う方向で試行錯誤していきます。
来月の自分への伝言
うりなみさん、無茶したからまだまだ回復には遠いですね。
長年の無茶がいよいよ拭えなくなってきた。薬も強いものになってしまいましたしね。
とはいえ、動かないと暮らしていけないからまた、無茶をすることは確定している。
いままで出来てたことが、はっきりと出来なくなってしまったことはショックだけれど、若い時のように大きく学べる機会でもありますよ。あの時に比べれば歩けるし、手も動く。ボンクラなりに経験も積んだ。
変わらない物は死んでいるものと同じ。うりなみさんが嫌ってきたものですよ。衰えは生きていること。
うりなみさんは、落ち着いた暮らしをしたいだろうけれど、あなた、落ち着いた暮らしなんか一度もしたことないじゃないですか。 必死で走り回ってきた。それなのにこんなタイトルのブログを書いてるのは大分イキってますね…
まあ、でも経験したことがないから追い求めるというのはあるかもしれない。あなたは私ですから、よくわかってますよ…
今までやってきたことが無駄だったと思うのはショックですね。
でも、いろんなものを捨てて坂道を走り抜けるような爽快感はあるじゃないですか。ちょっとワクワクしてきましたね。
捨てれば捨てるほどスピードは上げられるわけですから。良かったですね。変わることは生きていることですよ。
最後くらいは自分がやりたいことやれるといいですね。
やりたいことはこんな年になるまでただの1つも変わってない。
師匠が残してくれた手紙、笑っちゃいましたね。
人と全く興味も違うし、価値観は世界中の誰とも共有できない。
人間にしてもらった。最後のレッスンは、愛する技術でしたね。
人に頼れるようになれというのは、死ぬ直前まで心配かけてしまってますよ。初老になって遺される言葉というには大分恥ずかしいですよ…
ボンクラの意地もまた窮屈で、ファンキーではない。
他の誰に言われてもうりなみさんは聞かないでしょうけど、師匠に言われたんですからね。しっかり受け止めましょうね。
技術なら学べる。どうしようもない状況でも前進できる考えをもらった。落ち込んでも大丈夫。うりなみさんはどんな困難な時でも生きるための杖をもらっている。忘れないでくださいね。
ブログの更新をやめる時の記事のタイトルは決まりですね。愛する技術でいきましょう。
終わりにふさわしいタイトルでテンション上がってきましたね。
動きましょうね。
動けなくなるその日まで。
そうやって生きてきたんですから。スマートになんか生きられっこないのはよくわかってるでしょう。
目標に届かないことなんかどうだっていい。最後の1秒までそこに近づこうとすればいい。教えてくれたことを最後までね。
まあ、ボンクラなうりなみさんは同じことを繰り返すんでしょうけど…
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