暮らしやすい土地を探す まずは大阪
実家に戻ってそろそろ五ヶ月になる。無理に無理を重ねてひたすら残務処理と立て直しという二つのことに追われていたし、今も追われている。
まだそれが終わることはないのだが、大阪から仕事の話があった。
もし、その仕事をするのであれば、また人生の転換点になる。
とりあえずは、しばらく代打を務めることになることは決定。
明日はその話を聞いてくることになる。どうするかを決めるかで自分の生き方もまた大きく変わるだろう。
落ち着きようもないので、強い酒を流し込みながら書いている。自分へのメモ。
思えば、去年の8月終わりから突っ走ってきてはや10ヶ月。息つく暇もない日々だった。
もう10ヶ月が経ってしまったのかと思う一方で、まだ10ヶ月しか経っていないのかとも思う。
色んなことが変わってしまった。
自分が望んだ無理ない暮らしは得られなかった。
残念ながらもはやそれは存在しない。もう少しで手が届きそうではあった。
希望は絶望より時としてきついものだ。だからこそ、どちらにも支配されたくない。
なんの本で読んだか忘れてしまったが、ノスタルジーは全体性の回復を目指すものだと書いてあって、得心した記憶がある。
自分を突き動かすものって、これだよなあ。
決して取り戻すことができないがゆえに、どんどんそれは大きくなっていく。
熱意があるんじゃない。それは妄執というべきものだ。
思えばそんなことで人生の半分以上を使ってしまった。
取り戻したらまともに生きられると思い続けたが、なんのことはない。
それが本来の自分ということだ。
わからなかったわけではない。わかりたくなかっただけだ。
辛い現実を認めないことも一つの現実に対する方法だろうが、希望も絶望もフラットに見られないものか。
どんな状況下でも主体的であることはできる。それが自分の生きる上で一番重要なことだ。
人間にそんなことは無理で、究極的には自由意志など存在しない。
だとしても、そう思い続けることで生きてきた。
なんとか視点を変えて、今できることはないかと考え続けた。
うまい方法を見つけたと思っては、またそれが駄目だったということを繰り返した。
行きつ戻りつしながら生きてきたわけだ。
もう一度自分にとっての無理ない暮らしは何であるかということを、自分に問い直す必要がある。
旅を住処とすると言った芭蕉になぜあれだけ心を揺さぶられたのか。物理的に移動するということだけではなくて、心の平穏がなく生きるのだということを予感したからだろう。
では、諦めるのか。この状況下でも、勉強会とブログはやり続けた。小さなことに過ぎない。
だが、その小さなことが自分を支えた。まだ、自分にはできることがあると思えなければ一歩たりとして前進できなかった。
自分に対する信頼が大きく毀損してしまっているから、まずそこを回復させなければいけなかった。
絶望して死ぬのは一瞬だ。死ぬという結末は誰もが共通している。絶望が駄目なのは、主体性を捨てるからだ。希望も駄目だ。希望もまた、それにすがるようになれば主体性を失ってしまう。
本当は、じっくり自分の内面に入って考える必要があるが、それが出来なかった。
動きながら考えざるを得なかった。これからもおそらくそうだろう。
無理ない暮らしは存在しない。だとしても、今より良い方法は考えられる。移動が多い生活が長かったが、それは駄目だ。
自分が快適であるものはなにかわかっている。それは移動が多い生活では得られない。体ももう移動が多い生活に耐えられない。
途中まで無理ない暮らしを得ようとする実験は成功した。まずは成功した状態まで戻すことを始める。
まずは大阪から。自分は都会でしか生きられない。
絶望の奴隷にも、希望の奴隷にもならない。前のめりで死ぬために。
コメント
うりなみさん、ご丁寧なコメント返しとまたコードに関する記事も上げてくださっていて、ありがとうございます。
昔に作ったツイッターアカウント復活させましたのでまたDMさせていただきます。
無理ない暮らし…がんばりたいです。
DMありがとうございました。少しずつ整理していきますねー。こういう記事があるとわかりやすいんだけどというところがあったら、気兼ねなく。書き終わったらいずれ整理していきたいと思います。勉強会ではやってることも記事や動画に全部出来てないので、そいうところもやっていかないとダメですね…