時間を買うこと
時間はおよそ何にでも変換可能で、有限な資源だ。
人間はあまりにも多様で共通しているところはほとんどない。が、誰もが、生まれ、死ぬことは共通している。
生まれた瞬間から、死に向かって歩みをはじめ、必ず到達する。
時間が制約条件にならないものは存在しない。
自分が好きな、仕事、音楽、トレーニング、料理といったものも、全て時間が関わっている。人間が時間的存在である以上当たり前だが。
金銭は、さまざまなものに変換可能だが、時間と金銭を比較した時に、時間の方が希少な財となる。
時間と労働を交換することで、金銭を得る。
その財で、時間を買うことはある程度までは出来る。家事労働を減らすことは、時間を買うことにほかならない。
だが、金銭で死から逃れることは出来ない。
もちろん、病気の時に、適切な治療を受けられたり、食事に気を使えたりもするだろう。
が、最後には金銭でも交換不可能な時期がやってくる。
だから、金銭で時間を買うべきだ。
今までもそうやって考えてきたつもりだったが、甘かった。
体が悪いということは、あらゆる面で不利だ。健康な人に比べれば、残された時間も少ない。
その上に体調の悪さに耐えていることが多いので、一日に使える時間も少ない。
だからこそ本当に無駄なく行動する必要がある。
自分が弱者であることを忘れてはいなかったか?
丁寧さを時間を掛けることと勘違いしていなかったか?
仕事のほとんどが時間を管理する仕事なのに、自分の時間の使い方は甘くなかったか?
記録があって、なんとか回るからこれで良いと思考停止していなかったか?
時間を買うことは今までもやってきた。が、それに綻びが見えて来ているのは、時間がないから。
頭を整理して、時間の使い方を考えるのがおざなりになるのは、自分に余裕が無く思考をまとめられていないからだ。
時間がないのは時間に余裕を持てないから。まさにトートロジー。
自分ができる対策は、時間の使い方を考える時間を買うこと。
仕事を減らせば収入は減るが、その分時間は増える。これは時間を買うことでもある。
トレーナーに習うことだったり、自動化できる機械を買うことでもある。これも時間を買うこと。
不快さをお金で解決できるなら、それは金銭を時間に変換したうまい使い方だ。
何が人生の幸福度をあげるか知らない。そんなものは人によって全く違うはずだ。
ただ、自分にとっては、好きなことに使った時間が一日に占める割合が多ければ多いほど、その日は充実していたと言える。
結局のところ、その積み重ねが生きるということだ。
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