Minimalismを見て思ったこと
レン(@tokyophotograp2 )さんに勧めていただいて観たのだが、考えさせられる映画だった。
ミニマリズム: 本当に大切なものをNetflixでみた。
Minimalistの登場人物たちは、消費にドライブされて、そのことに疲れ、消費が美徳とされる価値観に疑問を抱く。一言でまとめてしまうとこういう映画だ。
アメリカ人の消費性向の高さは、日本人からはちょっと考えられないくらい高い。
それも、悪い面ばかりではない。外部金融をガンガン利用したり出来るのは、合理的だと思う。
自分は物は少ない。そんなに物なくて大丈夫なのと聞かれることが多いのだが、これは別に物を減らすことが目的でこうなったわけでもない。
単純に、自分のリソースが少ないからだ。決断することや管理コスト(心理的、経済的)を極力掛けたくない。なんだか、無理ない暮らしというタイトルらしくなってきましたね。そうなの、生活ブログなのよ!
自分はとことん怠惰なのである。求道的なものとは全く違うんや…
じゃあ、物が少ないから、物に対するこだわりがないかと言うと、そんなこともないのだ。少ない物は逆に言えば、こだわりだらけということでもある。
沢山のものを求めることも、物を求めることと変わらない。物が少ないことを求めることも、また強く物を求めることでもあるだろう。鏡の両面みたいなもんである。
物を多く求めることも、物を少なく求めることも、どちらかに振り切れると硬直したものの見方になる。
その中間点を自分なりに考えていくしかないんだろう。ただ、どっちも無理があるのは自分は好まない。
このことについてはずっと考えてきた。
去年、移動が多かったので、荷物を極限まで絞り込んだ。その中で買っていったものは、少ない分だけこだわりがあった。
これもまた窮屈なものだな思ったんである。まあ、何事も極端に考えるんである。アホだからね…
まず、どっちか極端に振ってやってみてから自分に快適なものはなにか見つけるほうが早い。バランスが取れた人なら一発で選択できることでも自分は出来ない。ただ、ゆっくり変わろうとするより得意だとわかった。
物を少なくするストレスというのはある。去年1年はほぼ一年間移動する生活だった。ホテルとウィークリーマンションでの暮らし。
いちいちセッティングするのはしんどかった。移動でエネルギーがとられて、音楽に関しては停滞した。
とにかく、少ない荷物。どこでも買えるもの。省スペース。
持てるものに限界がある分、一つの単価は高くなる。
必要なものも足りなかった。モノが少なくて、工夫せざるを得ないのは、時間を奪う。いくらなんでも減らしすぎたんやよ…
引っ越して、やっとバランスが取れてきた。
1秒でも時間を短縮できないかいつも考えて過ごしてきた。自分の場合は、普通の人より活動できる時間が少ない。持病や怪我の後遺症が選択するときの基準になっている。自分にとって無理がないことを考えなくてはいけない。
結果として、自分がすぐ使えるもの、学習コストがかからないものが自分にとっては良いものとなる。
学習コストが掛かるものは自分にとってそれ以上のリターンがないと買わない。
時間を短縮できるものなら買う。それ以外の場合は相当な吟味をしていたのだが、最近はそれもやめた。
いると思ったら買う。結局、必要なかったら処分するし、いると思って買ったものは必要だった。
自分の経済力を超えて買うことはない。アラブの大富豪だったら買うかもしれんけど…
考える時間が自分にとっては、コストが大きくなってしまった。
物が少なくなって、人生が豊かになるなんて事はない。また同様に、物が増えたからって人生が豊かになるなんて事はない。
だから、過度に物事をシンプルにしないようにしたい。それは思考停止であって、自分がやりたい生き方ではないからだ。
自分はシンプルにしたいという強い欲求がある。自分で自分を管理できていると思いたいからだ。
それが、ドグマにならないようにせんとなあ。
人生、難しいなと嘆息した。みなさん、どうされてます?
考えさせられる映画は良い映画。違和感を感じるものは、自分のものの見方を広げるられるので大事にしたい。
時間があったら読んでみようと思う。
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