愛の条件は孤独
さすがに疲れが出てきて、ちょっと体調を崩していた。
ベッドで横たわりながら、愛の条件はなんだろうかと考えている。
普通の愛ってあるんだろうか。
ある程度の傾向はもちろんあるだろう。
同じ人間で、手が2つあって、脳がある。生物としての制約条件がある。
バッタに愛があるのかは知らないけれど、あったとしても自分たちとは違うだろう。同じやったらどうしようか…
日本に生きる人であれば、義務教育がある。その時点である程度の均質化はされる。
教育の究極の目標は、市民を作ることだ。教育を受ける権利が社会権に分類されるのは当然だと言える。
市民には、共通項が必要ということだ。対話可能性を作り出すということだろう。
だが、個人としては、人間は全く異なる。
さ、ここからが問題だ。
全く異なる個人であるところに成り立つ愛って、対称性はないよなと。
当たり前の話である。
誰もが、恋人であれ、パートナーであれ、愛する人間の側にいたとしても無限の孤独を感じることはある。
人間は、相手の感情、自分の感情を完全に共有することは出来ない。
相手に自分がどれだけ、相手のことを思っているかを伝えられたら良いかと人は望む。
が、それは無理な話である。まあ、全部わかっても地獄だろうけど…
愛は可視化出来ない。
だから、人は工夫する。写真を撮ったり、記念日を祝ったりするのはそういうことだろう。
だったら、やっぱり普通の愛って定義は無理だ。
互いに理解は出来ない。だって別の人間だからね…
その時のその人でないと愛は成立しない。その時間と空間に規定される。愛に普通はない。どれ一つとして。
だから、周りからの理解なんかなくてもいい。
それは、あなたと相手でしか成り立たないものに、他者の判断基準を介在させることだ。
愛情というのが非対称性に基づいているんなら、理解しようとしても理解し得ないところにしか愛は存在しない。
本質的に、人は孤独だ。孤独しか共有できるものはない。
だが、それは愛の条件でもあるんではないのか。
愛が可視化されたしよう。ゲームの世界みたいだけどさ。
ちょっと考えてみる。
相手の自分に対する好感度、自分以外に対する好感度が全部見えたとする。
ご飯食べにいって、相手の好感度が下がるとか、他の人への好感度があがってるとか。全部見えたらどうですか?
嫌や…
完全にわかってるものを愛すんだろうか。もしそうなら、それって自分を投影してるだけじゃないか。世界を自分で埋め尽くす。他者がいない。
それもまた地獄。マジで愛って無理ゲーやな…
理解できないことがあるから、愛は成り立つ。
孤独であるからこそ成り立つと言える。
つながるツールが増えれば増えるほど、孤独は増幅するってのは、そうだなと思う。
いつでも繋がれるはずなのに、完全に理解することは永遠に出来ないわけだから。
どこまでいっても完全な理解はない。
だが、孤独は悪いことだけではない。
孤独だけが共有できるのであれば、全ての人は孤独を共有するということによって、愛は成立しうる。
「一人じゃないよ。一緒にいるよ。私も孤独だよ」
こう始まるMavisの歌は、愛と孤独について考える切っ掛けをくれる。
You’re not alone
I’m with you, I’m lonely too
What’s that song
Can’t be sung by two?A broken home, a broken heart
Isolated and afraid
Open up this is a raid
I wanna get it through to you
You’re not aloneYou’re not alone, every night
I stand in your place
Every tear on every face
Tastes the sameA broken dream, a broken heart
Isolated and afraid
Open up this is a raid
I wanna get it through to you
You’re not aloneAn open hand, an open heart
There’s no need to be afraid
Open up this is a raid
I wanna get it through to you
You’re not aloneI wanna get it through to you
You’re not alone
I’m gonna get it through to you
You’re not aloneMavis Staples -You are not alone
犀の角のようにただひとり歩め。折にふれて読み直す。歳を重ねて、自分の考えを作った本や音楽は実は少数のものだと気づいた。究極の自由もまた孤独にしかない。
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