共通性について考える
共通性について考えている。
何か新しいものを学ぶときには共通性がないかを考える。
既知の知識で理解できないか考えることは、誰もがやっていることだろう。
新たな言語を学ぶときは特にそうだ。それが人工言語であれ、自然言語であれ。
音楽もそうだ。いかにスケールやコードやリズムがわかっても、これは違うというような演奏になってしまうのは、その言語に十分触れてない事が多い。
その一方で、短期間で音楽言語をマスター出来る人もいる。
楽器が短期間でメキメキ上手くなった人で多いのは、家族の誰かが音楽をやっていたという人。音楽をよく聞いていた人。
スケールやコードを耳で知ってるんだろう。適切なアーティキュレーションも。言語化出来ないだけだ。
優れたデザインは何かという事を考えると、共通性と差異のバランスがとれているということではないか。物凄く単純化すると。
見出しであれ、フォントであれ、余白であれ。強調したい内容は差異を強調する。段落というのもすごい発明だと思う。ここまでは共通しているのだと示せるのだから。
良くないデザインだなと思うのは、構造が雑駁だからではないか。自分はそう感じる。
デザインが出来る人は凄い。
特に自分は情報伝達のコストを下げるためのデザインに興味がある。
いま、特に教える仕事の比重が高いから、なおのことそう思う。
当たり前だが、どの順番で学ぶかでも大きく結果は変わる。
結局、全体の理解が出来ていないとデザインは出来ない。
共通性があれば、物事は習得しやすい。英語なら準動詞の時制を先に教えた方が、高校生くらいだとおそらく理解しやすいのではないか。
プロダクトデザインもいうのもそういう事なんだろうなと思う。
Ableton PUSHは非常に論理的。論理的ということは簡単ということだ。
Drumrackのシーケンサーを勧めるのは、ここでの操作が、他のシーケンサーやモードでも共通しているから。
共通しているということは、類推できるということでもある。
Maschineの分かりにくさは、究極的には16パッドという出自にある。
ブラウザを開くとよくわかる。
Ableton PUSH2の場合は、 それぞれの機能ごとにブラウザがまとまっている。外部のプラグインを使おうと思った時に、迷うことはない。
AddTrackなら3つしか選択肢はない。MIDI Track,Audio Track,Returnトラックという3つあり、さらにその中から階層が分かれている。ブラウジングの直感性には欠けるかもしれないが、かならず目的のものにたどり着ける。
一方でMaschineは違う。ブラウザの段階で、既に、group,sound,instruments,sample,effects,Projectと分かれている。instrumentでも、ベンダーでわかれている。また、大量のプラグインを識別しやすくするために、NKSはある。
Projectも確かに、すべての音の集合体ではある。が、曲として認識するから、これが音というくくりで分類されているとは直感的にわからない。
が、NKSでブラウズ出来るからと言って、コントローラーで全てコントロール出来るわけではないから戸惑う。
その原因を突き詰めていくと、結局のところ16パッドという制限があるからだ。
ソフトウェアがあって、そのコントローラとして作られたAbleton PUSHはトラック数の限界もないし、鍵盤についても考える必要はなかった。
Maschineは16パッドで全てを体系化しようとしたから、自分にとってはわかりにくかったのだ。
今まで、Maschineは持っていても、本当に簡易的な打ち込みにしか使ってこなかった。
毎日使っているうちに使えるようになったが、これは論理に慣れたと言うのではなく、覚えたというだけだ。
自分の知識の中で、16パッドに対する理解が欠けていたからだろう。
いまだにMaschineではメロディーやベースライン、コードのステップシーケンサーは使わない。あまりにもPUSHとの共通性がないためだ。
ああ、そうか、人間でも同じだものな。
仕事に対する考え方で共通性があれば、どんな人とも気持ちよく仕事ができる。
仕事に関しての前提条件が違いすぎる場合が、大きな齟齬を生む。
どんなものでも合理的ではある。他人から見たら合理的ではなかったとしても。
だから、ちょっとわからないくらいで諦めたらいかんなと。
彼女の怒り方がよくわからなかったので反省しました。
あ、ちなみに怒られたのはこうやれば、もっと効率的に使えるんじゃないかと機材のことを考えていて生返事だったからです…
ということは、君もパッドを触れば共通性ができる、解決や!(ダメです)
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