お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね。
ブログ再開します。
5月にブログがおかしくなってしまっていろいろ手を尽くしたのですが、現状の形で戻すことは無理ということになりnoteに記事を移したり、個人サイトを作ったりしていました。
Obsidian Publishで作る個人サイトでは、どうしても、今までのブログのように書く気持ちにならなかった。
Obsidianは毎日使い倒しているんですけど、記事を書くというこの一点においては私には全くあっていなかったんですね。
ブログはずっと、手紙を書く気持ちでやってきたわけですけれど、個人サイトではどうしてもそういう気持ちにならなかった。
今までの記事の積み重ねがなくなってしまったこともあるんでしょうし、メグさんにデザインして頂いたこのブログのデザインに非常に愛着があったこともあります。
で、アフィリエイトリンクなんかは全部死ぬけど、プラグインを外して、DB再インストールすれば軽量になりそうだと言うのがわかったので、メグさんに無理を言ってやってもらいました。
いつもありがとうございます…
また赤字スタートや。Swellのテーマ代くらいは稼いでみせるぜ…
まあ、そもそもこれだけやってきて赤字だったブログをまたやるのかという話なんですけど、ブログ、好きなんですよねえ…
なんというか、こういうのはちょっと恥ずかしいんですけどね。唐突な愛の告白みたいで。
どうあったって私が好きなもの、いいと思うものは平均とズレてる。エグいことをして儲けたいとは思わない。
友達にそんなことはしないですしね。
パッド先生として真っ当に稼ぎたい。
ブログの役目は終わったと思っています。特に情報を提供するようなものは。
だって、情報が欲しいならAIに聞いたほうが速いですよね?
結果が欲しいならAIに。そうなるのは必然です。「出来る」ことはもう価値ではない。
価値は単純に需給で決定されるとするなら「出来る」事が常態になる。となるなら不完全さや過程こそが意味を持つんじゃないかと。
カラオケの打ち込みで敗れ、翻訳は機械翻訳の台頭で敗れ、受験産業はアプリやAIの台頭で負けに負けた。
いわば、敗北のエリートと言えましょう…
だからね。出来ないことを楽しむ。不完全さと楽しむこと。このことなら私は書ける。私以上に書ける人はそんなにいないんじゃないかと自負していますよ。嫌な自負やな…
人間に不完全さと楽しむことは最後まで残されている。絶望は希望だったかもしれないですよ。出来ないことは変わることが出来るとということでもありますしね。そして私に最後に残ったのはパッドだったと言う・・・
いやあ、音楽もオールドスクール。そして、ブロガーですよ。ブロガー。モテそうにないし、お金にもならない。
カッコ悪いなあと思うんですけれど、でも、それがやりたいんだから。ごきげんなおじさんとして死にたい。
死ぬその日までブログを書けたらなと思います。しばらくお付き合いください。無理ない暮らしへの最後の挑戦です。
みなさん、いかがお過ごしでしたか?元気だったら嬉しいです。
