習得コストを下げるには
ここ数年、習得コストを下げることについて考えてきた。自分の幸福と関わりがあるのは、技術の習得だからだ。改めて今の自分の考え方を整理したい。
技術についての記事はこちら。
無理ない暮らしというのは、自分にとって、限界がない暮らし。そして、それを楽にできる暮らしである。
無理ない暮らしとは何かと問われても具体的に答えることは出来ない。
それは、人によって異なるからだ。
自分にとってはそれはなにかと考えてきた。
主体的に生きたい。主体的ということはなにか。
自分がコントロールできる範囲が多くなることだ。
コントロール出来ないものを極力排除する。
生活の中で不快な時間を減らして、快適な時間を増やすこと。このブログ自体が自分の実験だと言える。
自分の関心は、音楽、読書、食、健康だろう。仕事は好きだったと過去形で答えなければならないのは残念だが、仕方のないことだ。
そして、一つの仮説を立てた。快適な時間を増やす、そして不快な時間を減らす。それが自分の生活の質を向上させる。
これらは一見すると脈略のない記事に見えるかもしれないが、一応無理ない暮らしというテーマで考えている。
Kindleは関係ないだろと思われるかもしれないが、自分にとっては整合性があるのだ。
これは時間のコストの削減であり、金銭的コストの削減だ。
金銭的コストの削減は当たり前だが、寿命を伸ばすのに等しい。
その分の労働時間を減らし、自分が快適な時間を増やすことができるから。
快適な時間を増やすのには金銭面でコントロールできるパラメーターは2つしかない。不労所得を増やすこと。金銭的コストを下げることだ。
金銭的コストを下げる時に考えなければいけないことは、自分の時給を考えることだ。
コストを下げようとするあまりに時間を使うことは、快適な時間を減らすことになる。
だから自動化したり自然に学習できたりすることが必要になる。
快適さを感じているのはどのようなときか。
自分が快適さを感じるのは何なのか。
適度にリラックスしている。
音楽をやれている。
興味があることを学んでいる。
自分が楽しみを感じているのは、やはり音楽を作り、演奏することだ。
読書することだって、物の見方や知識を得ようとすること。ある意味スキルと言える。
一つの読書から得られる知見は10冊しか本を読んだことがない人間と10000冊読んだ人間では異なる。
楽器も同様だ。やっとスケールを覚えて曲を1曲しかコピーしたことがない人間と10000曲コピーした人間で得られる情報量は桁違いだ。他の曲との関連性で理解もできる。
結局の所、技術習得が自分にとっての一番快適と関わりがあるということだ。
快適さを増やすことは時間が一番大きい要因と言えそうだ。
単位時間あたりの幸福度を増やすこと
となると、道具を減らすことは幸福度を増やすことになる。
音楽の場合、ソフトやハードが多ければ多いほど、一つのソフトやハードに使う時間が減る。
時間が減るということはつまり、習熟するのに時間が掛かるという事だ。
技術を得るのが難しくなる。
自分がDAWベースに移行した時、曲を形にするまで莫大な時間がかかった。
今、システムが完成してPUSHを使えば20分でできることが2日掛けてもできなかった。
技術は習得すればするほど、得られるものが多くなっていく。あたり前のことだが。
だから、限定することが必要だ。ここまでは考えていた。
道具を減らすにも考えておかなければいけない面があった
道具を減らすことについては難しい面がある。
まず、自分がやりたいことができるか。そしてそれは自分にとって無理なくできるかがわからなかった。なので実験した。
初めは少ない道具でできないかやってみたが、足りなかった。そのため結局買い足した。
これは、買っておけばよかったということになる。その時に買って使っていれば、今はもっとうまく使えて時間を減らせた。
音楽そのものに時間を使えたということだ。
道具を減らすことについてはルール通り実行している。
自分の志向が変わった場合の方向転換は仕方ない。生活が変わった場合も仕方ない。
道具を増やすのと減らすことは難しいが、解決策はある。
仲間を増やす、教師を見つける
これは結局、自分の知識が不足していたからこうなった。それを使っている人が周りにいなかったのが問題だ。
指ドラムに関してはスペカンさんに習ったことは本当に大きかった。
だが、音源をどうすればいいか、このハードを買ったほうがいいのかということについては周りに知識がある人がいなかった。
自分がやりたいことがかなり特殊ということもあるかもしれないが、探せれなかったわけではないだろう。
教師を見つけるスキルが不足していた。
システムを構築するのに調べた時間はムダではなかったけれど、音楽をやっている時間ではなかった。
おそらく、そういう人たちは多い。
パッド研究会にできれば、教える人たちも参加してほしいのはそのためだ。
習ったほうが習得コストが低くなり、どんどんできることが増える。
教える人も私が呼んだという形なら自分で営業する必要もないので、支援もできるはず。
そしてこういう集まりがあれば、モチベーションを持てる場を作れる。
同じような興味がある人達だから、持っているノウハウなども共有できる。
維持するのは大変ではあるが、何より自分が楽しめる。
そもそも、スペカンさんや自分がやりたいのはパッドドラミングだ。フィンガードラムの中でも傍流だろう。
だから、自分たちで仲間を増やすしかない。自分が発信することで、他の人のスキルが上がる。
ブログを書いているのはムダではないはずだ。スペカンさんが教則本を作っているのも、やろうとする人たちの習得コストを減らせるはず。
パッド人口が増えるごとに技術も開発される。より効率的なプログラムも生まれるだろう。
色んな所でパッド研究会やってみるかな。そしていろんなところで皆がゆるく遊べればいい。
まずは名古屋、大阪、京都、広島、福岡、札幌くらいで出来たら、日本でも技術的なブレイクスルーが起こるかもしれない。
自分の残り時間を考えると、動ける状態になったらすぐ動くべきだ。
衰えていく肉体と頭を考えて技術を習得する必要性
真剣に考えていく必要が出てきた。自分の肉体的なピークは去って久しい。共通性があるものなら、習得コストは減らせる。
自分の能力が今より落ちても、時間が減っても使い慣れた道具があれば対応できるということだ。
自分にとっては、ドラムやギターや音楽の知識が落ちることはあっても肉体的な技術より緩やかなはず。
Ableton Liveを使い、PUSH2に絞ったほうがいいんだろうな。PUSHとAbleton Liveは肉体的な能力を拡張してくれる感覚がある。
もっと体がきかなくなっても、Max For Liveを使えばできることはあるんじゃないか。
DAWや音楽の道具が自分の生きることに関係があるとは思わなかった。
だが、使っている時間を考えると、これは考えなければいけない問題になってきた。
快適な時間の多くが音楽であり、一番使うものだからだ。
Ableton Liveがなくなることは考えにくいし、なくなったとしても今のLive10で自分が作りたい音楽は作れる。
このことについてはもう少し考えてみることにする。
習得コストを下げるのは、捨てる、できる人を探す。仲間を作る。単純なことだ。
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