2019年こそ無理ない暮らし



2019年こそ無理ない暮らし

新年一発目の記事にこういう新年の抱負を書くのがブログらしいんだろうと思いつつ、画面共有の方法が初めの記事になってしまいました…

今ひとつ締まらないのは、自分の人となりが出ているので仕方ないですね。

去年はこんな事を考えていました。

2018年こそ無理ない暮らし

仕事を減らすのは途中までうまく行っていました。

ですが、生活環境の変化でどえらいことに。

バリバリ働いていた時くらいの仕事量に戻ってしまいました。学習してないですね…

無理ない暮らしをするための4つのチェックポイント 12月も限界に挑戦 躊躇するならスピードを上げろ

もういちど無理ない暮らしについて考える

これからの無理ない暮らしについて考える

一年間無理ない暮らしは自分にとってはなんだろうかと問い続けてきてわかったのは、最後まで主体性を失なわずに生きること。

それが自分にとっての無理ない暮らしだと。無理がないということは残念ながら存在しない。でも、その中で出来ることはある。

去年と考えていることが大きく変わったわけではないです。ただ、確信が違うんですね。

やっぱり、いろいろ無力感が大きかった。

自分の人生は挫折の連続だった。

得たいと望んたことは得られなかった。

自分ならできただろうし、気づけたことを気づかなかったことは生涯後悔はするんでしょうね。

そのために、生活を仕事で塗りつぶして生きてきました。

けれど、悲しみは主体性を失って生きる理由にはならない。

気づくのは遅くてボンクラだなと思いますが、変えられない現実があっても、出来ることはいくらでもある。

フィンガードラムを普及させる

現役プレイヤーに戻ることを諦めた。

自分が最後ドラマーに戻りたいと思って、フィンガードラマーだと自分を定義したわけです。

でも、自分がプレイヤーとしていける限界ははっきり見えている。それなら、普及に全力を尽くす。

私が思っているフィンガードラムは、サンプルプレイヤーとは大きく違う。パッドでドラムを叩くことなんです。

スペカンさんの64パッドのプレイは世界でも類を見ないレベルまで到達している。

世界一というのも抽象的な話ですが、私はなると確信している。

他のフィンガードラマーと全く違う。ドラマーがフィンガードラムをしているということです。

第4回のパッド研究会に参加していただいた人は、いかに先行のメソッドの批判的研究から生まれたかよくわかったんじゃないでしょうか。

世界一はプレイヤーの夢です。

しかも日本からのメソッドです。

いままで、日本のプレイヤーが世界のプレイヤー全部に影響を与えるようなことはなかった。認知さえされたら可能だと考えます。

でも、いくらスペカンさんが今フィンガードラム上で多くの技術的な革新を成し遂げていても、フィンガードラムそのもの認知が低い。

ドイツのようにコンペがあるわけでないし、アメリカのDJ系スクールのようにフィンガードラムのコースがあるわけでもない。

本来ならスペカンさんが受けるべき評価は、こんなものではないんです。

だから、なんとか認知を広げる。64パッドは未来の楽器です。

今の音楽スタイルにあっている。

音楽に関わるものを身体的に表現できる。

ドラムであれ、コードであれメロディであれ演奏できる。

演奏できるということは、音楽を作るのが容易になるということです。

Ableton PUSH2の演奏はギターや鍵盤とも動きが違う。打楽器なんです。

だから、フィンガードラムはこれからの音楽を作る人の基礎になると私は思ってます。

かつてピアノが担った役割ですね。

でも、フィンガードラムするまでには、多くの理解が必要です。

Ableton PUSH2がもっとも64パッドで優れているので、使えるプレイヤーを増やす。

自分が到達できなくても、可能性がある人達に貢献できるなら、自分の人生に意味はあったと思える。

具体的には

  • パッド研究会を年6回は最低やる。
  • Ableton PUSH2勉強会は最低年50回やる。
  • スペカンメソッドの教則本を作る
  • スペカンさんのフィンガードラムの教室の事務を手伝う
  • PUSHでドラム、ベース、コード、メロディを自分で作れる人を10人作る。
  • PUSHで音楽を理解する方法をもっと発信する。

コストを減らす

自分の時間を確保するためにコストを減らす。

教える時間を作るには、お金が必要です。

無料で教え続けるのは自分が稼ぐ必要がある。そして、操作説明でお金は取りたくない。

それでは普及しない。

ただでさえ音楽を続けることは難しいじゃないですか。

皆、生活があって、そのなかでなんとか時間を捻出しているわけですよね。

普及が目的と言うなら、自分のことだけを考えていたら効率が悪すぎます。

知識が問題ならそれは全部潰す。

一日3時間あれば、1000記事は書ける計算なのだから、もっとコストを考える。

出来る人が増えたら、それだけ発信してくれる人は増えますし、教えあうコミュニティがなかったら衰退するのははっきりわかっている。

知識とモノの交換だったり、音楽を通じてゆるいセーフティーネットを作りたい。

まとめ

自分がやりたいことはわかった。昔の半分も動けないし、行動力も落ちた。

でも、やっぱりどうしようもないくらい、ドラムが好きなんですね。

そういう気持ちに蓋をしてずっと生きてきたんですね。出来なくなったことが恥ずかしかった。

でも、それはやっぱり違うだろうと。

叩けなくなったから、自分がドラマーじゃないなんてことはなかった。

簡単なことに気づくのにずいぶん時間を掛けてしまった。

自分からドラムを奪うことは誰も出来ない。自分自身からですら無理だったわけです。アホですね…

死ぬ時は前のめりで。叔父さんは言い続けた。それは自分の中に残った。今も自分を鼓舞している。

恐ろしい気がするんですよね。なんで、私をかわいがってくれたのか。その愛情の巨大さは、ちょっと自分にはわからない。

叔父さんと師匠によって今の自分になったんです。

なんというか、いろいろ普通の人間が学ぶことを学ばずに来てしまったのはわかってる。

私の人間らしい部分って、叔父さんと師匠から与えられたんですよね。

いい加減、他の人にも返さなきゃいけないですからね。もらったものは返さなければならないと教わった。

他の目標ありますかね…?

あ、肉料理はかなり自分で満足できるレベルになってきたので、今年は卵料理の精度を上げたいです。

去年もかなり飲んで書いたんですけど、こういうのはかなり酔わないと書けないですね…

また、後で唖然とするんだろうな…

(しました。恥ずかしいことを書く時は、かなりお酒飲むんですけど、来年はやめます…)

自分から自由になること

なぜ技術にこだわるのか











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