買うこと | 無理ない暮らし
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買うこと

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買うこと

プライムデーでiRig STOMP I/Oを買った。

これで今年、ハードを買うのはほぼ終わりだと思う。ものを買うのは時間を買うことだと思っている。

こんなサイトをやっているから、機材大好きなのかと思われがちだけれど、機材にはそれほど興味は無い。

機材は多いが使っていないのが駄目で、機材を少なく使いこなしているのがいい。そんな単純な話ではない。

モノを買うのは時間を買っていること

自分が機材を買う場合でも、物を買う場合でも理由は一つしかない。時間を買っているのだ。

毎日の食材を買うことは、生命活動の維持には欠かせない。それを少しでも快適にしようとして食材を買っている。調理に手間を掛ける場合も結局時間を買っているわけだ。

働けば金銭に変換できる時間を買っているわけだから。

金銭と時間はほとんどの場合、交換可能だ。

もちろん、人は死ぬ。だから、時間のほうが金銭より価値が高い。

引っ越す前に、ほとんどの機材を処分して、甥が欲しがるもの以外はPCベースに変更した。

これは、移動が多くなる生活で、自分の快適さを考えたからだ。自分は趣味が多くない。読書、音楽、料理、トレーニング。

こんなものだ。移動が多くなる生活では料理は厳しい。トレーニングはもう趣味というより仕事。仕事をするためにトレーニングしているので、楽しくなくてもやっている。

となると、音楽と読書になった。

読書に関しては、スペースの都合もあったし電子化せざるをえなくなったから電子化した。

これは物を少なくしたかったというより、管理コストを少なくしたかった。探すための時間を買った。自分が調べたいものや、読みたいものが手元にないのは効率が悪い。これは、捨てることではなくて、快適な時間を買うために物理的に物を圧縮しただけの話だ。

捨てるということとは違う。快適さを追求しているだけだ。快適さを得るために、物理的に捨てられるものは捨てるだけのことだ。

誰もが合理的

今となっては笑われるかもしれないが、人間はやはり皆ホモ・エコノミクスだと思っている。

行動経済学では、人間の不合理さを解く。

が、それは、脳にとって快適なのが、経済換算したときに不合理に見えるかと言うだけだろうと思う。

今日の100万円と1年後の105万円の価値を考えて、一年待つほうが合理的というのは、人間の寿命と、時間を計算に入れていない空論に過ぎない。

一年後に生きている保証がどこにある?

今日の100万円を一年後に105万円にするのは難しくない。やり方はいくつもある。一年後に105万円にならなくても、その分経験があれば人生は豊かになるのではないか?

だから愚かな行動はないと思うのだ。たとえ、後悔にするにせよ、その時、その人に必然性があったと考えると納得できる。

余命1日での1億円と、小学生での1000円ではどっちが価値がある?

お金をつかうことはすべて時間を買う行為と考えるとシンプル

自分は、音楽をやることが意味があると思っているので、機材の学習コストは限りなくゼロにしたい。その時間を練習や曲を作ることにあてたい。お金より重要な時間を練習や曲に使いたいということだ。

一方で、自分で試行錯誤をしていくのが好きな人もいる。それは目的が違うだけのことだ。

試行錯誤がするのが好きな人は、試行錯誤の時間を買っているわけだ。とにかくうまくなりたい、曲を作りたいという自分から見たら、無駄なことをしていると感じられることでも、その人からしたら、まさに大きなお世話である。

試行錯誤がするのが好きな人は、お金より貴重な時間を使っている。うまくなることが目的ではなく、試行錯誤する時間を楽しんでいるということである。

自分の姿勢は余裕がない態度に思えることだろう。

相互理解は所有権を考えれば可能性はあるのではないか

で、そこでなぜ争いが起こるのか考えてみる。

あいつは格好悪い。自分が好きでやっていることを否定されて気持ちが良い人間はいない。

なぜ、攻撃するのか。自分を正当化するためだ。自分の価値観にそぐわないものは、おかしいとすれば、自分の正しさは強化される。

攻撃されたものが攻撃するのは、理屈としてわかるが、攻撃されていないのに攻撃するメカニズムにはこういう物があるのではないか。強烈な劣等感か。相手を否定しなければ、自分を肯定できないのは、安全を求める病だろう。

自分が優位な立場でなければ、人と対することが出来ないのは、醜悪だ。

ここで、自然権について改めて考える。自然権の元は所有権である。そもそも人権が確立していった歴史を考えると、課税に対する反対だったりするわけだ。自分のものを勝手に奪うなということである。

すべての権利は、所有権がベースと考えると納得が行く。

で、あると相手を攻撃するというのは、そもそも相手の愛好しているものを毀損する行為である。

日常生活で、俺はフィンガードラミングやるやつは気に入らないと殴りかかったら、マジ、逮捕である。狂っとるね…

自由であることは礼賛されるべきだが、それは自由を履き違えてるだろう。自由は免罪符にならんやろ…

愛情のベースにあるのは敬意だと、コント・スポンヴィルは言った。敬意とは相手の所有権を侵さないことと考えれば理解できる。

敬して遠ざけるというのが、理性的な態度なのだ。私達はお互い理解し得ないという一点においてのみ、お互いを理解しうるのだ。

だから、ここまで偉そうに捨てること所有権について考えてきた私が、スペカンさんからLaunchPadを買ったことは許して欲しい。

パッド買うのは合理的。だって、パッド大好きだからね!(ごめんなさい)

 

 

 

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